授業開始と終了の合図ともいえるチャイムの音が、部屋に鳴り響く。
部屋の中央で円陣を組むように地べたに座り、紅先輩の口から話される作戦を聞いていたオレ達は、その音を合図に一斉に顔を上げる。
「さぁてと、開始一分前の合図だ。皆、気合入れていけよっ!」
音の残響の中一番に立ち上がり、勢い良く脱いだ学ランを部屋唯一の机上に投げ捨てながら発せられた、気合を入れるための紅先輩の言葉。
それに対して蒼莉さんは笑顔で立ち上がり、麻枝のやつは静かに頷きながら立ち上がった。
「おっ、どうした俊哉。緊張してるのか?」
言葉を返すことも頷くことも無く、いまだ座ったままのオレの様子に、少しだけニヤついた笑みを浮かべて紅先輩が訊ねてくる。
……あれだけ“自分は強い”と言っていたのに今更緊張しているのか?
……そう言われている気がする。
だがその紅先輩に向かってオレは、彼と同じようにニヤついた笑みを浮かべて立ち上がる。
そして力強く、今の本心を口に出す。
「まさか。初めての集団戦で、むしろドキドキしているぐらいさ」
「はっ! 上等!」
ワクワクを隠そうともしなかったオレの瞳を見つめ返し、景気良くオレの背中を叩いて部屋の出入り口へと歩を進める紅先輩。
その後に蒼莉さん、麻枝、オレと続く。
そしてしばらくして、開始の笛が、どこからともなく鳴り響く。
ピイイイイイイイィィィィィィィィィィィィィィィーーーーーーーーーーーーーーーーーー……! と、体育の時と同じ、笛の音が鳴り響く。
瞬間、紅先輩は目の前のドアを開けて駆け出した。
その後に蒼莉さんが続き、麻枝は出ると同時紅先輩達と反対方向へと駆け出す。
そして最後に、オレ。
「えっ?」
勢いよく飛び出し、駆け出そうとした足が止まってしまった。
だってオレが出た場所は、どう見ても五階のパソコン室ではなく、一階の職員室だったから。
――戦う場所は挑まれた方が選ぶ。それが決まりだ。
それこそ砂漠だったり密林だったり、西洋の街並みだったり廃墟と化した軍事基地だったり。ホントに多種多様だ。
その中で今回の相手は、確実にうちの学校の校舎を選ぶ。ここがあいつらにとって一番力を発揮できる場所だ、って本人達も自覚してるしな。
ドアから出る先は両チームともランダムだが、校舎だと確定している以上、ソレを利用した作戦を練るに越したことは無い――
いつもより少し真剣に話していた紅先輩の姿が脳裏を過ぎる。
作戦を説明する前置きとして話されたソレを思い出し、止めてしまった足を動かした。
ドアから出る先は両チームともランダム。
他の皆はそのことを、この戦場に出る前から覚悟していた。
だからドアを開けた先が現実的に在りえないこの場所でも、冷静に対処しきれていた。すぐに駆け出せていた。自分の作戦行動に移れていた。
それなのに、オレは……!
……まぁ、まだ挽回のチャンスはある。この強い力を奮い、作戦通りに敵を殲滅させれば良い。
紅先輩と蒼莉さんは、校舎入口から最も遠い階段を。麻枝は校舎入口に最も近い階段を。そしてオレは、校舎の真ん中に位置する階段を。そのそれぞれに分散してから敵に見つからないよう探すことで、確実な包囲網を作ろうとしている。
階段自体は一種の閉鎖空間みたいなものなので、足音に注意をしながら敵を捜索していれば、向こうから見つかることはそうそう無い。
皆がバラバラに行動するのは確かに危険だ。だがそれは逆に、階段の中に響く自分以外の“音”は全て敵のものだということ。
――敵は確実に固まって行動する。それが彼女たちの、校舎を戦場に選んだ際の必勝作戦だからな。
だがそうした集団行動は、それだけで油断しちまう。それはまだ中坊の俺達としては仕方の無いことだ。どうしても油断したくなかったら、まっとうじゃない訓練を受けなきゃならない。
だから、これだけは確実だ。一人で気を張って行動し続ける以上、集団で行動して油断している相手に、先に見つかるなんてことは無い――
(見つけた)
と、足音を立てぬよう、しかし極力早く階段を駆け上がりながら作戦説明時の紅先輩の言葉を思い出していると、頭の中でいつもの軽薄な口調じゃない同じ人の声が聞こえた。それだけこの争奪戦に真剣なのだろう。
……いや、いきなり頭の中で声が聞こえたからって、別段オレの頭がおかしくなった訳じゃない。これはあくまで、この争奪戦が始まれば全員に起こる現象の一つだ。
チーム内限定で頭の中で会話の出来る、所謂通信機器の代わり。
会話をしたい相手の顔と名前を思い浮かべ、伝えたいメッセージを念じる。
ただそれだけ。
さっきの紅先輩の言葉はおそらく、一緒に行動していない麻枝とオレに向けられたものだろう。
でも敵を見つけたって言っても……一体何処に……。
そう考えたところで、ふと思い出す。
先程の「脳内会話」とはまた別の、争奪戦が始まれば全員に起こるもう一つの現象、「視覚共有」。
こちらもまたチーム内でしか行えないらしい。
ただ発動条件であちらと違うのは、見ているものを共有したいその相手を思い浮かべるだけで良いところ。
そうすれば「視覚共有」という名に反し、聴覚までも共有されるらしい。ただあくまでも無意識下の共有なので、こちらの思考を邪魔しない程度に……まるで最初から見て・聞いて、予め(あらかじめ)知っていたことであるかのように、自然と“解る”ことが出来るらしい。
……「らしい」を乱発しているのは他でも無い。
今から初めて実践してみるから。
と言う訳で、静かに階段を駆け上がりながら、紅先輩の視界を共有したいと思ってみる。
それだけで、相手の場所が“解った”。
紅先輩が壁に隠れ、相手に見つからぬよう片目だけを僅かに出し、その相手の姿を確認しているということが。その相手が、四人全員固まって行動しているということが。
場所は……ちょうど良い。
オレが今上がっている階段、そこを五階まで上りきったすぐ前。廊下と階段広場の境目。
紅先輩の作戦通りに動くため、オレは四階の階段の影――誰かが降りてこればすぐに不意打ちを食らわすことの出来る場所に隠れる。
そこまでしてようやく、紅先輩に「準備出来た」と脳内会話を送る。
(分かった)
いつもと口調の違うその返事を聞きながら、再び紅先輩と視界共有。
相手の四人は何かを相談しているのか、何かを喋りながらその場を動こうとしない。時折笑い声を上げている。……と言うか、この場所だと視界共有に関係なく、普通に反響して聞こえてきやがる。
……もしかしてこれ、かなり油断してるんじゃねぇのか……?
今すぐ襲い掛かれば、相手の妄想能力とか関係無しにあっさりと倒すことが出来るんじゃないか……?
そう考えてしまう。
でも、紅先輩の合図が無いのなら、おそらくそれは不可能。
この争奪戦が始まる前に話されたあの作戦を決行する。そうするしかないのだろう。
麻枝の能力を最大限に利用した、敵が仕掛けようとしている策全てを飲み込む、その作戦を。
(準備は完了した。これより決行する)
作戦内容を思い起こして確認しようとした矢先、相変わらずいつもと違う紅先輩の声が頭の中に響いた。
オレは視界共有をしたまま、ことの成り行きを見守る。
「ようやく見つけたぜ、十七位の皆さん」
右手に金色の柄をした剣――妄想付具を握りしめた紅先輩と蒼莉さんが、ついに敵の四人と対峙する。
向こうは二人が制服姿で、パソコンの映像で見たツインテールの女生徒を含む残りの二人が黒のラインが入った半袖シャツに、緑色の同学年だと分かるハーフパンツを穿いた夏用体操服姿になっていた。
「まったく……まさかこんなところで油を売ってるとはな」
脳内会話の時とは違う、今まで通りの軽薄口調で言葉をかける紅先輩。
対峙する時に発した紅先輩の言葉で、相手の四人はすでにそれぞれの戦闘態勢を整えている。
体操服姿の二人は徒手空拳。残りの二人は、体を隠せそうなほど大きな盾を持つ人と、紅先輩や蒼莉さんと同じで妄想付具を握っている人。
「油を売ってた訳じゃないわ。ただ作戦を練ってただけよ」
四人の女生徒のリーダー、小さなツインテールの勝気な瞳をした女生徒が先頭に立ち、何も持っていない手を大仰に振って答える。
それに対して紅先輩は、手に妄想付具を握っているにも関わらず、構えることもしないで一歩、前に出る。
突然攻撃されようとも、蒼莉さんを守れるように。
「作戦? んなもんが必要なのか?」
「ええ。あんた達四人を、圧倒的な力量差で屠るためにはね」
「そうか、それは殊勝なことだ。まぁ最も、俺達が必ず勝つことになるから、その行動は全て無駄になる訳だが」
「まさか。あんた達こそ、そうして油断していると、あっさりとあたし達にやられちゃうよ? あれだけ大口叩いたんだから、せいぜい楽しませてちょうだいよ」
「油断? 何を言ってる。これは決して油断なんかじゃねぇ。俺はあくまでも真実を述べてるだけだ。そうだな……強いてあげるなら、余裕を見せている、と言った方が正しいか」
「余裕? 本当に余裕なの? なんかかなり焦ってるから、そこまで饒舌になってる風に感じるんですけど?」
「なるほどね……だが残念なことに、それはお前の勘違いだ」
「そう……それなら、そっちが感じているあたし達の油断も、あんた達の勘違いよ」
紅先輩とツインテール女生徒の言葉の応酬は、そこで止まった。……おそらく、互いに気付いた。
いくら言葉を重ねようと、相手の心を怒りに染めさせ、冷静な判断力を失わせるということは無理だろうと。
もっとも紅先輩の狙いは、それだけじゃない。
何故なら彼にとってこの言い争いは――
「っ!」
――時間稼ぎと、彼女たち全員の意識を自分に向けさせることにあったのだから。
「皆! 離れてっ!」
異変に気付いた誰かの焦る声が、狭い廊下に響き渡る。
でも、遅い。
紅先輩の言葉に気を取られすぎて、逃げるのが遅れた。
だがそれでも、すぐに階段の方へと身を躍らせた三人は優秀。
「っ!」
一人は、“狭い廊下を埋め尽くさんばかりの光の波に飲み込まれてしまった”のだから。
「くっ!」
動揺する女生徒達の声が、直接耳に届く。
……これこそが、紅先輩の作戦。
敵の目を自分に惹きつけ、反対側の廊下から麻枝の奇襲を成功させる。
T字型廊下の交わり、すぐ横に動けば階段方面へと逃げることが出来るポジション。そこで陣取っていた彼女たちは、パッと見包囲しやすい位置にいるように見える。
だが敵にそう思わせることこそが、彼女たちの狙いだったのだ。
それらを踏まえ、基本軸として据えてくる作戦を、紅先輩は知っていた。
彼女たちの中に、「どんな攻撃も人も、一定の範囲内に踏み込めば自らへと吸い寄せることの出来る」妄想能力者がいることを、彼は知っていた。
つまり彼女たちの基本戦術とは、その妄想能力を最大限に利用したものなのだ。
攻撃が吸い寄せられれば、盾を持っていた者が防ぐ。人が吸い寄せられれば、徒手空拳の二人の妄想能力で仕留める。
その吸い寄せる妄想能力を知らなければ、確実に不意を衝ける完璧な作戦といえる。
だが、紅先輩は知っていた。
故に、吸い寄せられてもその大きな盾で防ぎきれない攻撃を、浴びせようとした。
そのために、麻枝の妄想能力を利用した。
先程の廊下を埋め尽くさんばかりの光の波。アレは麻枝の妄想能力で放たれたもの。
作戦説明時に聞いた話によると、彼女の妄想能力は「空気を圧縮した光の弾を手の平から放つことが出来る」というもの。何でも、視界半分程度の距離・手の平大のサイズならノーウェイトで放つことが出来るらしい。
だがそれは裏を返せば、時間さえかければ視界外の超長距離・オフィスビルよりも大きなサイズで光弾を放つことが出来るということ。
だからこその、あの言葉の応酬。
麻枝を集中させるための時間を稼ぎ、注意を自分に惹き付け油断させ、光の柱を横倒しにしたような廊下を埋め尽くさんばかりの光弾を、麻枝に放たせる。
引き寄せる妄想能力。その範囲に入る場所へと、光弾を放たせたる。
その光に全員が巻き込まれれば万々歳。
だが紅先輩はそれで上手くいだなんて当然思っていない。現に引き寄せる妄想能力者以外の三人は、避けることに成功している。
……作戦説明時に紅先輩は話してくれた。引き寄せる妄想能力者が、その能力を仲間のために解除“しなければ”各個撃破に移る事になると。
……光弾を避けきれた三人の反応は、明らかに遅かった。何も無ければ確実に仕留められてしまうほど。
それなのに避け切れたのは、やはりその相手が妄想能力を解除しなかったからだろう。
解除せず、広がっている光弾全てを一身に受けた。
その、仲間のためとはいえ自分が犠牲になる覚悟を瞬時に行えたのは、正直感嘆の声を上げてしまう。
「くっ! 何よあの光は……! こっちの能力も知らずにあんなものぶっ放して! 雪美の能力がなかったら全員終わってたわよっ! もしかしなくても仲間ごと屠るつもりだったとか…………いや、もしかして、あたし達の能力がバレてた、とか? 知っていたからこそ、あんな作戦を立てて向かってきた、とか?」
階段を降りて来る一人分の焦る声と急いでいるのが分かる足音が聞こえる。と言うことは、残りの二人は上の階に逃げたのか……。
まぁ、上の階は紅先輩と蒼莉さん、麻枝がそれぞれの階段を上って確実に包囲する手立てになっている。
その中で、オレに与えられた役目は一つ。
「つぇっ!」
こうして下に逃げてくる奴の足止め。
可能ならば、倒すこと。
「なっ……!」
降りてくる足音にタイミングを合わせ、包帯を槍に武器化して階段の影から飛び出して突き刺す。
だがその不意を衝いた攻撃は、動揺を露にしながらも距離を取るように跳び、いつの間にかその手中に収めていた彼女自身の妄想付具によって弾かれた。
チッ……階段を降りているときに具現化していたのか……。
上に行く人数も下に行く人数も、さすがに予測は出来ない。
もし下に降りてきたのが――オレの元へと来たのが二人なら、上に行った一人を紅先輩達が倒して駆けつけてくれるまでの時間を稼ぐ。
そして一人なら、オレの実力を最大限行使して、倒す。
「……まさか、逃げた先にまで仲間を配置してるなんてね……」
廊下の方――奇しくも、先程四人で固まっていた場所と同じ場所で、その女生徒は妄想付具を構えながら悔しそうに呟く。
おそらく、彼女自身も気付いている。上に逃げた仲間の二人は、オレを除く三人に囲まれているということを。
階段を後ろに戦うのは圧倒的に不利なので、ゆっくりと、彼女を中心に弧を描くように歩き、後ろに道を据えるように移動した廊下で、手に持つ槍を構えて彼女と対峙する。
……小さなツインテールを頭の上に乗せている、勝気な瞳をしたリーダーの女生徒と。
「どうした? 完璧な包囲網に脱帽したか?」
「完璧……そうね、確かに、逃げ道はないわね」
オレの言葉に同意を示しながらも、でも、と彼女は言葉を続ける。
「逃げ道は無くても、突破口ならある」
「突破口?」
「ええ。あなたを倒しさえすれば、あたしは逃げ切ることが出来る」
「はっ……なるほど。確かにその通りだな。でも残念なことに、オレは強いぞ」
「強いかどうかは、あたし自身が決めることよ」
そう宣言すると、彼女は手に持っていた妄想付具を腕輪に戻して手首に嵌める。
そして何も握っていないはずの手で何か――まるで剣の柄でも握っているかのように、両手共をヘソの前付近に出して構える。
剣道のように、両足のかかとを少し上げ、正道に。
「なんだ? 武器も持っていないくせに構えやがって……」
「武器を持っていないと本当に思うのなら……その場に留まってなさいっ!」
眉根を寄せながらのオレの言葉に叫びを返すと同時、彼女は摺り足でオレとの間合いを一息に詰め、その勢いを乗せた手を前に突き出した。