「意外だなぁ……そんなにあっさりと負けを認めるなんて」
前と後ろにある壁が、横にある壁へと吸い込まれていく中で、男の変わらない軽薄な声が聞こえてきた。
「当たり前だろ。あそこで足掻いたところで、オレの力じゃどうすることも出来ない」
「ふむ……もしかして、もう怒ってないとか?」
「怒ってるに決まってる。まだその女が憎いとさえ思ってる。でもな、あんたのその掴み所の無い雰囲気に当てられてると、迂闊に手を出したら今度こそ殺されちまうような気がするから止めてるだけだ」
「……もしかして俺、とんでもなく良い拾い物をしたんじゃないか……?」
「あ? 何か言ったか?」
「いんや別に。ただ、お前が協力してくれるのは心強いなと思ってな」
「はっ、何だそんなことか。当然だろ? オレは強いんだからな。もっと強気に構えてくれ」
何か誤魔化された気はするが、褒められて悪い気はしない。
でもそれも僅かな時間で――
「勘違いしないで。あなたが強いんじゃない。あなたが手に入れた力が強いだけよ」
――すぐに例の女が口を挟んできたせいで何もかもが台無しだ。
「んだと……?」
……ったく……人がせっかく良い気分に浸ってるってのによ……。
「あなたは偶然に得た力を、偶然にも制御出来ているだけ。制御できる範囲で、がむしゃらに振るっていることにも気付いてない。そんな、力に溺れ、寄り縋って、本質を見抜けていないあなたは、まったく強くなんて無い」
「ちっ……相変わらずムカつく女だ……」
「でもこれは真実。さっきの戦いが何よりの証明になってる」
「てめぇ……!」
さっきの戦いの敗因は、決してオレが弱いからじゃない。まして、戦いの最中にあの男に言われた「今までの戦い方」なんてものでもない。
あくまでも状況が悪かっただけだ。
強いオレが負ける理由なんてそんなもんだ。
もしあいつらと出会った場所が外だったら、壁に囲まれることも無く男との間合いを一息に詰め、一撃で倒すことが出来ていた。
だからこれは戦う場所のミス……つまり、状況が悪かっただけだ。
そんな当たり前のことにも気付かず、相変わらずこの女は……!
「まあまあ、その辺でお互いに落ち着いてさ〜」
と、オレと女の間に割って入って止めてきたのは、先程の戦いでまったく口を挟んでこなかったもう一人の女子生徒。
猫背のオレが背筋を伸ばせば辛うじて超えるであろう、女子としては高めの身長。
ピンッ、と所々の寝癖が目立つロングヘア。
笑顔を携えているその瞳はどこか眠たげで、全体的にホヤホヤとした印象を与えてくる。
「協力関係になるんだし、ケンカの前にとりあえずは〜……んん〜〜〜……自己紹介! とか、どうかなぁ〜、とか」
名案! とばかりに両手をポンと打つ。
「それじゃあまずは〜、発案者でもあるわたしから〜、なんだけど〜」
……ホント、与えてくる印象通りの人だな……喋り方も全体的にノンビリというか、間延びしてるというか……。
本来ならイラッときて怒りもさらに募りそうなものだが、何故かこの人だとそんな感じがしない。
むしろ逆に、怒りがどこかへいってしまっている感じすらする。それは例の女も同じなのか、口を挟んでくる気配が無い。
こういうのを俗に「癒し系」と言うのだろうか……?
「名前は〜、篠崎蒼莉(しのざきあおり)、って言います。これから協力してもらうのですから〜、俊哉くんには遠慮なく、蒼莉ちゃんって呼んで欲しいです」
「いや、さすがに蒼莉ちゃんはちょっと……」
「え〜……」
「そんな不服そうな声出されても……」
「これでもわたし、二年生ですよ〜……?」
「…………は? えっと……それって、つまり……」
「そ。わたし、俊哉くんの先輩になります〜。だから、先輩命令」
マジか……。確かに身長面ではオレと同等な時点でかなり高めだが、この可愛い顔のつくりと雰囲気は、どう頑張って見ても年上じゃなくて年下に見える。
でも最低学年はオレの一年だから同期だろうと踏んでいたが……まさか年上とは……。
「……蒼莉さんと、呼ばせてください」
「えええぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜……」
オレの呼び方に、年上かどうかさらに危うく感じる不服そうな声を上げてくるが当然無視だ。
「んで俺が、獅子咲紅(ししざきくれない)。こう見えても三年生だ」
次に、無視した視線の先にいた男が、親指を自分に立ててそう紹介した。
そんな姿もどこか様になるからカッコイイのは本当に得だと思う。
「ってことは、獅子咲先輩ですかね」
「おいおい、協力してもらうのにソレは無いだろ? 遠慮なく紅って呼んでくれ。後、俺に対しては敬語も無しで構わない。同姓だからそれぐらい平気だろ?」
「いや、口調は大丈夫だけど、さすがに呼び方までは……」
「ふむ……ま、それじゃ呼びやすいように呼べばいいし、言いやすいように喋ればいい。俺は敬語であろうとそうでなかろうと、協力関係のうちはまったく気にしないからな。だがま、苗字で呼ぶのだけは止めてくれ」
苗字……? そう言えば獅子咲って名前、どこかで見たことがあるな……。聞いたことは無いんだが……。
まぁ、今はそんなことを気にしてる場合じゃないか。
より重要なのは……。
「……と言うか皆、どうして俺の名前を知ってるんだ?」
「どうしても何も、噂を調べていくうちに自然と入ってきた情報だからに決まってるだろ」
ごもっとも。
「そんなこともわからないなんてね……」
「むっ……!」
相変わらずの無機質な言葉なのに、ちょっとバカにされたような気がする言い方。
発したのはもちろん、さっきから妙に突っかかってくる女。
睨みつけるような視線をそちらへと向ける。
「姫宮麻枝(ひめみやまき)。あなたと同じ一年生」
「あ?」
「名前と学年、私の」
「お、おお……」
「よろしく」
「あ、ああ、うん……その、よろしく……」
ふっと沸いた小さな苛立ちが、その淡々とした自己紹介で殺がれてしまった。
「協力関係にあるうちは、私だと分かる範囲でなら好きなように呼んでくれて構わない」
「えっ、あ、うん……わかった」
さらに続いたその言葉に何故か緊張してしまった。
……いやまぁ、まったく表情筋を動かさないとはいえ、見た目は人形のように整ってて可愛いからな……。
……はぁ……もしかしてこれが、男としての悲しい性(さが)、ってやつなのだろうか……。
「んじゃ、自己紹介も終わったことだし、さっそく俊哉には働いてもらうとするかな」
「ちょ、ちょっと待て」
話を進めようとした紅先輩に待ったをかける。
「オレは確かに協力すると言った。言った限りは全力を尽くさせてもらうつもりでもある。でもな、何に協力するかはまったく聞いてないぞ」
さっきは麻枝の言葉で質問を途中で止められてしまったが、本当に聞きたいのはオレの名前を知っていたどうこうではない。
何に協力させられるかどうかだ。
「おっ、ちゃんと全力で協力してくれんのか。いやぁ〜、こんな無理矢理な方法だったから、てきとうな協力しかしてくれないかと懸念してたんだが……」
「誤魔化そうとするな!」
今までの行為が間違いであることも分かったし、何より一度負けてしまった今となっては、状況さえ整えば勝つことが出来ると周囲には気付かれてしまっている。
そうなると、誰にも恐怖を与えることは出来ない。一度負けたやつの末路なんてそんなもんだ。
となると今は、何をどうすればオレの復讐が達せられるのかがまったくわからない。
だからその間……考える時間がある間ぐらいは全力で協力してやろうと思っている。何をやれば復讐を達せられるのか、のヒントが得られるかもしれないしな……。
「それとも紅先輩、あんたは人に言えないことをオレに協力させるつもりなのか?」
「いや、そんなつもりは無い。もちろん誤魔化そうとしたつもりも無いぞ? ちょっと純粋に喜んだだけさ。それと協力してもらうことってのは、一時的で良いから俺達と一緒にチームを組んでもらう、って言うだけの、極々単純なものだ」
「チームを組む? それで何をするなんだ?」
「そりゃ当然、ランキングに食い込むつもりに決まってんだろ」
ランキング……? ……ああ〜……オレは興味がなかったが、“何でも叶う願い”のあのランキングか……。
……なるほど、それならオレをチーム内に組み込もうとするのも頷ける。
なんせオレは強いからな。
「……それで、オレを加えてどこまで食い込むつもりだ?」
まぁ、何位までランキングをとっているのかは知らないが、大方(おおかた)ベスト三辺りまでだろう。
「一位」
「………………………………は?」
あれ……? 聞き間違えたかな……?
「だから、一位。トップ。誰よりも強い証の場所」
ああ〜……聞き間違いじゃねぇ。
まったく……この先輩は何を言ってらっしゃるのやら……。
「ったく、冗談は止めろよな。それじゃオレ、これからの長い期間、ずっとこのチームにい続けることになるじゃないか。そんなの協力関係じゃなくてチーム入りだろ?」
「お前こそ冗談はよしてくれ。一位なんてもん、お前が加わった今、一週間以内にとってみせるさ。だからま、お前とはそれまでの付き合いってことだ」
「いやまぁ、確かにオレは強いし、時間をかければ一位も可能だろうけど、さすがに一週間以内は無理でしょ?」
「いや、出来る。そうするための下準備もしてきたし、お前が仲間になった時点でそれも終わった。だからお前には一週間、俺達のチームとして、全力で働いて欲しい。無理矢理協力させちまったが、たった一週間だけだと思って、お願いしたい」
そこまで言うと彼は、深々と頭を下げてくる。
「ちょ、ちょっと、頭を上げてくれ。そんなことされなくても、オレは全力で協力するってさっきも言っただろ?」
「そうか! さすが俊哉だ! お前程の実力保持者が全力を出してくれるなら、すぐにでも一位になれるぞ!」
オレの言葉に気を良くしたのか、頭を勢いよく上げ、両肩を手を乗せるような動作でバシバシと叩いてくる。
本当に期待されてるみたいで良い気分だ。
「い、いや〜……ま、当然のことではありますけど」
「よしっ! それじゃあさっそくパソコン室に向かうぞ! まずは一チーム、勢い付けに倒しに行こうじゃないか!」
そう言うと紅先輩は、高笑いでも上げだしそうなほど上機嫌に歩き出してしまった。目的地はおそらくパソコン室だろうから……五階か。
……ん? もしかしてオレ、また何か誤魔化されてないか……?
「あまり調子に乗り過ぎないように」
オレの横を通り過ぎるとき、麻枝にそんなことを言われる。
乗“せ”過ぎないように、じゃなくて、乗“り”過ぎないように、か。……まったく、さっきの自己紹介の時に迂闊にも可愛いとか思ったが、やっぱこの無表情と淡白さは“無い”わ。
「気にしないで下さいな〜。あれでも、あなたのことを心配してるんですよ〜」
横に並んだ蒼莉さんにそう言われたが……とてもそうは思えない。
「どこかですか?」
「う〜〜〜ん……それはまぁ、自分自身で気付いて下さい。麻枝ちゃんの言葉を、しっかりと、真剣に、考えてあげてください。そしたら、たぶん分かることが出来ますよ」
どうだか。
とは思ったが、口には出さなかった。
喋り方は今までと一緒だが、どこか真剣さのある言葉だったから。
「ほら、俊哉くんも、一緒に行きますよ」
今は仲間なんですから。
そう続けられそうな言葉を受け、オレも蒼莉さんに並んで、目的地であるパソコン室へと足を進めた。