「くっ……!」

 

 階下で、一人の男子生徒が右腕を押さえながら座り込んでいる。背後は廊下の果て。

 つまり、追い詰められている。

 

「さぁ……ようやく仕舞いだ」

 

 階下で、一人の男子生徒が金色の柄を誇る一握りの刃を突きつけている。切先には座り込んでいる男。

 つまり、追い詰めている。

 

 一階と二階の間にある踊り場。

 そこでオレは、その光景を隠れるように見つめている。

 

「覚悟は出来たか?」

「……ああ」

 

 切先を後ろに引きながらの問いに、追い詰められた男は静かに頷く。

 遠くから見ていても分かる。

 その表情には、悔しさとか、諦めとか、何とも言えない悲しみが滲み出ていた。

 

 瞬間、オレは踊り場から一息に飛び降りる。

 何十段もある、この力に目覚めてなければ到底行おうと思えない高さからの浮遊感を感じながら、右腕の包帯を身の丈はある無骨な槍に変化させていく。

 

 ダンッ! と響く着地音。

 と同時、武器化していた槍が完成。両手の中にしっかりと収める。

 

 先程の音と震える空気に、反射的にオレの方向へと視線を向ける二人の男。

 その隙を逃すまいと、一歩、大きく踏み込む。

 男達との距離は実に短い。だからその一歩だけで、武器化した槍の間合い内へと入り込める。

 

 そしてその踏み込んだ勢いを加えた、最高速度の突き。

 目標は、切先を突きつけていた男の首。

 

「がっ……!」

 

 呆気なく、男の首を貫くことに成功する。

 

 貫いた刃を引き抜くと同時、男の体が、ガクンと膝から崩れ落ちる。

 金色の柄を誇る剣も腕輪に戻り、すでに意識は無いことが窺い知れる。

 

「大丈夫か?」

「え……あ、はい」

 

 座り込んだままの男子生徒に声をかけると、少し呆然としながらも返事をしてくれる。

 

「それは良かった」

「あの、もしかして君が、最近噂になっている……」

「さあ……? オレはその噂を聞いた事が無いんでね。でも、たぶんその噂の人だろうさ」

 

 もう大丈夫ならオレはこれで。

 

 そう言葉をかけ、槍を包帯に戻して腕に巻きつけながら、そいつの元を離れていく。

 ……噂は、着々と広まっているようだった。

 

 あの説明を受けてからすでに一週間。オレは放課後になってからずっと、今のようなことを繰り返し続けていた。

 鴉面の男に言われたパソコン室になんて訪れることも無く。

 ま、「何でも叶う願い」が必要ないオレにとって、ソレを争奪するためのルールなんてどうでも良いことだ。

 

 それよりも今重要なのは、復讐に一歩ずつ近づいていくことと、自分の力を良く知っておくこと。

 

 復讐に関しては、こうして噂が広まっている時点で刻一刻と達せられている。

 

 それにもう一方……自分の力に関してもある程度はわかってきた。

 まず第一に、変化できるものはオレが“武器”だと認識しているものしか出来ないこと。

 

 銃や包丁など“兵器”や“道具”と認識しているものは不可能。

 おそらくは盾など“防具”として認識しているものも無理だろう。

 

 次に具現化しておく方法。

 この能力(ちから)は、どうも手元から離れてしまうと包帯に戻ってしまうようなのだ。

 この前試しに弓と矢を武器化して射撃してみた結果、弦から矢が離れると同時、包帯の切れ端と化してしまった。

 その次に試しとして、剣へと武器化させた後地面に突き立て、握っていた柄を離してみた。するとやっぱり包帯に戻った。

 

 つまりオレの妄想能力の欠点は、オレ自身が“武器”だと認識しているものしか変化できず、尚且つ手元から離れると武器化が解除されてしまうということか。

 

「おっ、ようやく見つけたぞ、峰俊哉」

 

 考え事をしながら目的地もなくてきとうに歩いていると、真正面からオレの名前を呼ぶ声。視線を少しだけ下げて歩いていたオレは、その声の主に視線を向けるため顔を上げる。

 

 そこに立っていたのは、一人の男子生徒と二人の女子生徒。

 先程の声は声変わりを果たした男のものだったので、おそらくは、友人にするかのように馴れ馴れしく軽く手を挙げている、あの男子生徒が発したものなのだろう。

 

「……オレに何か用か?」

 

 少しだけ警戒しながら、男を睨みつける。

 

「ん? まだ声変わりしてないんだな」

「それがどうした?」

「いや、羨ましいなと思ってな。俺もついこの前までは、そんな少年のように可愛らしい声をしてたもんなんだが……今じゃすっかり親父声さ」

 

 ため息を吐きながらの軽薄な口調とその雰囲気。

 だが整った顔立ちや切れ長の瞳は男のオレから見てもカッコイイ。

 スラッと伸びた足と高い腰の位置、高校生と間違われるであろうその高い身長は、オレとは違って女子からモテていることは容易に想像出来る。

 

「……で、それを言うためにオレを呼んだのか? 違うだろ? “会った事も無いオレの名前を知っていた”ぐらいだしな」

「いやぁ〜、バレてるんなら仕方がない。それじゃあ単刀直入にお願いするけど、俺達に協力して欲しいんだ」

「協力?」

「そ。君の力が必要なんだよ。いやぁ〜聞いてるよ〜……最近の君の噂。何でも相当強いらしいじゃないか。だからその力、俺達に貸して欲しいんだ」

 

 友達に頼みごとをするかのように軽くお願いしてくる。

 初対面の相手に向かってのその態度はあまり好ましくないが、強いと言われてイヤな気はしない。

 だが……それと協力することは話が別だ。

 

「噂って言ったな。どんな噂が流れてる?」

「なんだ? お前本人のことなのに知らないのか?」

「ああ。本人だけは蚊帳の外ってやつだ」

「ふぅ〜ん……ま、アレだ。負けている奴の戦いに割り込み、そいつを助けてやってるって類の噂が専ら(もっぱら)だな」

「なるほど……それなら、オレがお前たちに協力する気がないことぐらいわかるだろ?」

「ん? どういうことだ?」

 

 その表情には、本当にオレが何を言いたいのかが分かっていないのが見て取れた。

 

「何だ、わからないのか? だったら教えてやる。オレはな、弱い奴を助けたいんだよ。オレ自らの手で、この力を手に入れる前のオレみたいな奴を助けたいんだよ」

「なんで、そこまでするんだ?」

「それがオレの復讐になるからさ。オレをイジメてた奴、オレに恐怖と痛みを与えてきた奴、その全員への復讐になるからな」

「だから、俺達に協力できない? 俺達に協力すると、そいつらに恐怖を与えることが出来なくなるから?」

「そうだ。オレ一人で今までのようにやっていくと、それだけで相手に恐怖を与えることが出来るだろ? もしかしてオレが狙われてしまうんじゃないのか? あの時ボコボコにしてたオレが次は狙われるんじゃないのか? ってな」

 

 そこで一旦言葉を切り、視線を伏せる。

 だがそれも一瞬で、すぐに男を睨みつけるために顔を上げる。

 

「お前たちがオレを何に協力させるつもりなのかはまったく分からん。が、ソレが何であれ、オレはお前達なんかに協力する気はさらさらねぇんだよ」

 

 その瞳には、さっきよりも強い力を込めて。

 オレの意志は何があっても変わらぬことを示すため、射殺すほどの眼光をその目に宿して。

 

 だがそれに気付いているのかいないのか、男は少しだけ考えるような表情を作るものの、相変わらずの軽薄そうな雰囲気をその身に纏って話しかけてくる。

 

「復讐のため……か」

「なんだ? 虚しいだけだからやめろとか偽善者ぶったことでも言うつもりか?」

「いんや、そんなつもりは無いさ。ただお前が復讐しようとしている奴らは、誰かを傷つければ誰かに憎まれる、なんて基本的なことすら気付いていない、本当に弱い奴らなんだろうと思ってな」

「ああ、あいつ等は確かにゴミ共だったな」

「違う違う。確かにそれも言いたいことだが、俺がお前に言いたいのはそんな“同情の言葉”じゃない」

 

 俺が言いたいのはだ。

 

 そう言葉を切った後、目の前の男は――

 

「そんな弱いゴミの様な存在だと言っている相手に、必死になっているお前はもっと弱い奴だなってことだ」

 

 ――さっきのオレと同じように目を鋭くし、オレとは違うニヤついた笑みを張り付かせ、そんなことを言ってきた。

 

「あ?」

 

 その言葉に若干の――いや、かなりの苛立ちを覚える。

 

「聞こえなかったのか? だったらもう一回、ちゃんと言ってやる。さっきはな、ゴミに必死になって復讐しようとしているお前は、とてつもなく弱い奴だって言ったんだよ」

「……んだと……!」

 

 その小バカにしたような言い草に腹が立つ。

 

 だってオレは、強いから。

 この理想の力を手に入れたオレが、負けるわけが無いのだから。

 

 それなのに、弱い奴だと言ってくる。

 初めて出会った、オレのことを何も知らない奴が、オレのことを知りつくしているかのような態度で。

 

「お前自身分かってないんだろ? 俺がさっき言った言葉、誰かを傷つければ誰かに憎まれる、って言葉の意味を」

「わかってるさ、んなこと……!」

「いんや、お前はわかってない。もしわかってるなら、お前自身がゴミだと自覚できる相手に、そんな躍起になる訳がないからな」

 

 成し遂げようとしていた復讐が、何よりの弱い証。

 

 この力を得るまでにオレへと与えられてきた痛みや恐怖、何とも言えない無力感。

 それらをまったく知りもしないくせに、そんなことを言ってくる。

 その無神経さに、苛立ちがさらに募る。

 

「何も知らないくせに……! デカイ口叩いてんじゃねぇよ……!」

「何も知らないのはあなたの方でしょ」

 

 呪詛でも呟くように出た無意識的な言葉。

 それに口を挟んだのは、目の前の男の声ではなく、一つの女の声。

 睨みつけるような視線をそのままそちら――男の左手後ろに立っている女の方へと向ける。

 オレよりも僅かに身長の低い、一人の女子生徒の方へと。

 

 ネコッ毛のセミショート。蛍光灯の光で蒼く輝く、前髪を上げて固定してある髪留め。

 白い肌に、人形のような精巧な顔立ち。

 こんな状況でなければ一目奪われるような美しい容姿をしたその女子生徒。

 

「あなたが戦いに割り込むせいで、色々な人が迷惑してるのよ」

「迷惑だと?」

 

 落ち着き払った、と言うよりも、冷え切ったと形容した方が正しいであろう瞳をこちらへと向けながら、静かに透き通るような声をぶつけてくる。

 今のオレの感情とは真逆の、その「どうでも良い」と言われているような口調が、尚のこと神経を逆撫でしてくる。

 相変わらずの口調で続く言葉に、我ながら今すぐにでも飛び出して切り掛からないのが不思議だ。

 

「そ、迷惑」

「人を助けてるのに迷惑なんてかけてる訳無いだろ? あぁ、それともアレか? オレがボコした方の味方なのか? お前等」

「敵とか味方とか関係ない。良い? あなたは、真剣勝負を行っていた人たちの間に、割って入ったのよ」

「はっ、それが何だってんだ。オレは困ってるように見えたから助けただけだ。当事者同士が真剣勝負中だったとかオレが知るかよ」

 

 そのオレの言葉が気に食わなかったのか、女子生徒は整った綺麗な眉をピクリと動かす。

 

「麻枝(まき)、その辺で止めとけ」

「いいえ、止めません。こんな“他人を助けた”と悦に入ってるだけのバカ、一言言っておかないと私の気が治まりません」

 

 会話を割り込まれた先程の男が、元の掴み所の無い飄々(ひょうひょう)とした表情に戻り、肩に手を置いて女子生徒を止めようとする。だが肝心の女子生徒は男に一瞥やっただけで、再びオレへと視線を戻す。

 その表情は相変わらずの“無”だが、オレと同じようにどこか苛立ちを含んでいるような雰囲気がある。

 

「あなた、確か俊哉と言ったわよね?」

「ああ、それが何だ?」

「あなたがしていることは、知らないで済まされることじゃないわ。全ての状況を見ることもせず、一方的に不利だと思う方を助ける。そんなの、エゴ以外の何物でもないじゃない」

「それがどうした? エゴ? んなもん、復讐するって決めた時点で分かってんだよ」

 

 オレをボロボロにした奴等に恐怖を与えるため、ボロボロにされている奴を助ける。

 それがエゴ以外の何だと言うんだ。それぐらいの自覚はある。

 

「そう……それなら話は早い。あなたはその復讐のために力を使い、他人を傷つけた。誰かを傷つけたら誰かに憎まれる。そのことも知っていると答えたあなたなら、もうわかってるでしょ?」

「だから、ボコしてた奴がオレを憎んでるって話だろ?」

「違うわ。確かにあなたが倒した人もあなたを憎んでる。でもそれ以上に、あなたに助けられた人も、あなたを憎んでるのよ」

「なっ……!」

 

 その言い分は、あまりにも予想外だった。

 

「信じられない、ってとこでしょうね」

「と、当然だ。お前のその言い分には、何の証拠も無い」

 

 苦し紛れに言ったその言葉を、彼女はただ一笑に付す。

 

「だったら、今からその辺の生徒を捕まえて訊ねれば良い。言ったでしょ? あなたのことは噂になっているって。そしたら至極あっさりと真実を知ることが出来るわ」

「ぐっ……!」

 

 そうだ。今までのオレの行動は全て噂になっているのだ。

 それならこの戦いに参加している中で誰でも良いから訊ねれば、すぐに答えは聞きだせる。

 でもそれは……その真実を教えてくれるということは、彼女にとっては聞くまでも無い答え――彼女が言っている通りの、オレにとっては予想外で認めたくない答えをそのまま、訊ねた相手に言われるだけではないのだろうか……?

 

「……やっぱりあなたは、何も知っていない」

「だが……んなこと、ありえる筈がねぇ! だってオレは、自分の都合を押し付けてたとは言え、ちゃんと助けてたんだぞ! それを、どうして……!」

 

 驚きや否定したい思いが溢れ、意識していないところで声を荒げてしまう。

 にも関わらず、目の前の女子生徒は動揺することも、だからと言ってバカにすることもなく、相変わらずの冷め切った口調で言葉を続けてくる。

 

「真剣勝負、だったからよ。真剣勝負の場に、あなた自身のエゴを持ち込んだからよ」

「何だよ真剣勝負って……! そんなの関係ねぇだろ……! こっちは痛い思いする前に助けてやったんだぞ……! それなのに……何で……っ!」

 

 感謝されたかった。

 自分と同じような境遇の人を助けてやりたかった。

 その一心だった。

 

 あんなに怖くて、何も言えなくなるくらい痛くされて、どうしようもない出来ないという無気力感に蝕まれるのは……本当に、イヤだったから。

 思い出してしまうソレは、力を手に入れた今でも、理想の自分になれた今でも、恐怖心が燻ってしまうぐらいだから。

 だから……助けてやりたかった。

 その辛さを知っているから。

 

 それなのに……何故か助けた奴に、恨まれていた。

 

 復讐心の方が強かったのは事実。

 オレをボロボロにした奴全員をひれ伏せたい。オレと同じ目にあわせたい。その気持ちが一番だったのは本当だ。

 でも……だからと言って、助けた人に恨まれたい訳じゃない! 自分と同じような人に感謝されたくない訳じゃない!

 

 一方では憎まれ、一方では感謝される。

 そんな存在になりたかった。

 

 人をストレス発散の道具に使う奴を恐怖に陥れ、理由も無くストレス発散の道具にされる奴に頼りにされる。

 そんな人間になりたかった。

 

 ただそれだけなのに……それなのに……!

 

「助けてやった、その発想がそもそもの間違いよ」

 

 悔しさとか憎しみとか、何ともいえない感情を、俯いて、拳を強く握り、無理矢理にでも押さえ込もうとする。

 それなのにその女子生徒はため息を吐き、相変わらずの静かな口調で、言葉の飛礫(つぶて)をぶつけてくる。

 

「皆、あなたに助けなんて求めてなかったでしょ? もし助けを求められないだけで助けて欲しかったのなら、こんなことにはなってない。つまりあなたは、余計な手出しをしただけ。他人が本当に怖がってるのか、痛がっているのか、判断できなかっただけ。“だけ”なんだけど、それが一番いけなかった。そのせいであなたは、あなたの一方的なエゴを、他人に押し付けたのだから」

「だからオレは、助けようと……!」

「それが助けになっていない時点で、相手にはただのエゴの押し付けにしか見えてないのよ。あなたの真意はどうであれ、その真意は伝わってないし、何より迷惑に感じてるだけ。だからあなたは、胸を張って人を助けていたなんて、言っちゃいけない」

 

 その言葉に、愕然とする。

 悔しさや、憎しみや、憤りが、全て霧散していく。

 苛立ちで握っていた拳が、力なく自然と開かれていく。

 

 だって今の言葉は、まるで、オレの行動全てを、否定されたような気がしたから。

 無駄な行動だったんだと、何の意味も無かったんだと、叩きつけてきたような気がしたから。

 

「胸を張って言える人は、相手に感謝される人。つまり、相手が恐怖しているのか、痛がっているのか、それらを理解してあげれる人。理解した上で、助けてあげられる人」

 

 その言葉に、とんでもない無力感を覚える。

 痛みつけられた訳でも、怖い訳でも、喋れない訳でもないのに、ボロボロにされた時以上の無力感を覚える。

 でも――

 

「そもそもあなたは、他人の痛みを理解しようとさえしていない。自分が得た力に溺れ、力をがむしゃらに振るってるだけ。そこには何の強さも無いし、何の覚悟も無い」

 

 ――次のその言葉には、無力感以上の苛立ちを覚えた。

 ……わかっている。どうしてだか、理由は分かりきっている。

 

 強くなったつもりだった。覚悟したつもりだった。

 それなのに……全てを否定された。

 

 確かに、オレの行動は間違いだった。

 助けたいと思っていた人の恨みも買っていたのだから、それは間違いない事実。

 でも、だからと言って、それでオレが弱いことにはならない。覚悟が足りないことにもならない。

 そんなの……こじ付け以外の何物でもない。

 

 ちょっとしたことで、オレの手に入れたもの全てを否定しようとしてくる。

 この力も、復讐すると誓った覚悟も……。

 ……だから、怒りを覚えている。

 霧散したはずの悔しさ、憎しみ、憤りが、再び燻ってきている。さっき以上に心が滾り(たぎり)、握っているだけなのに震える程強く、拳を握っていた。

 

「だからあなたは弱い。弱いからあなたは、自分の悦に浸りたかったのよ。“他人を助けている自分”っていうね」

「調子――」

 

 また、弱いと言った。

 

 あの頃の情けないオレを見てもいないのに、そんな言葉をまた突きつけてくる。

 何度も殴られ、蹴られ、踏まれ、痛みで何も出来なくなるあの無気力になる終わり。

 そこに至るまで、何度も何度も振りかけられた言葉の一つ。

 良いストレス発散になる。気持ち良い。それと同じぐらい言われていた「弱いからボコされるお前が悪い」という言葉。

 

 弱いお前が悪い。

 弱い奴全てが悪い。

 

 その言葉の理不尽さを、オレは身を以って味わってきた。

 身体の痣(あざ)が増えるたびに。見るだけで痛みが蘇る傷痕を残すたびに。

 

 

 だから、強くなった今、理想の自分になれた今、その言葉をかけられるのが何よりも苦痛で、何よりも殺意が沸く。

 

「――乗ってんじゃ――」

 

 だからもう、限界だった。

 

 だって今のオレには、力がある。妄想し、得られぬと思いながらも得た、誰にも負けないと誇れる理想の力がある。

 だから強い。

 少なくとも、ただイジメられていただけのあの時よりも強い。

 それなのにこの女は、力を得る前のオレを見ることも無く、力を得た今のオレを見ることも無く、弱いと罵る。

 全てがソレのせいにされる、その理不尽な言葉を。

 

 そのことが、許せなかった。

 

 だからもう、復讐がどうとか、関係なかった。

 助けた人に恨まれてるとか、自分のエゴを押し付けているとか、関係なかった。

 関係が無くなった。

 

 ただこの女が、憎らしかった。

 

「――ねぇっ!」

 

 吼えると同時、女に向かって全力で駆け出す。

 駆け出しながら、包帯を剣(つるぎ)と化して手の中に納める。

 距離は五十メートルも無い。

 オレの体が繰り出せる最高速度に達する前に、女へと斬りかかる……!

 

 ギンッ……! と響く金属同士の音。

 いつも手元に伝わる、柔らかいバターを切るような感触が伝わらない。

 ……理由は分かっている。

 

「そこまでだ」

 

 この女と話をする前に会話していた男が、腕輪を剣に変え、振り下ろすオレの攻撃を防いだ。

 

「ちっ……!」

 

 両手で武器を握って振り下ろしたオレの攻撃。

 片手では防げないほど重いことを知っているのか、男がその手に握る武器はちゃんと両手で握られていた。

 このまま力比べをしても埒があかないので、飛び退くようにして後ろに下がり距離を稼ぐ。

 

「まったく……麻枝、だから俺は止めたんだ。お前は単刀直入に物事を言い過ぎる。もっと言葉を選んでだな……」

「仕方ないじゃないですか。だってあのバカ、本当にムカついたんですもの」

「しかしだなぁ……」

 

 男の身長が高く女の身長が低いせいか、まるで年の離れた兄妹のようにも見える。

 

 武器を下ろして会話している男を見ると、油断しているように見える。

 だがその飄々とした態度や隙だらけの姿に反し、どんな武器で攻撃を仕掛けようとも、しっかり防いできそうな気配を感じる。……ここ一週間、何度も何度も、色々な奴の隙を衝いて攻撃してきたからこそ、分かってしまう。

 迂闊に攻めることが出来ないと。

 

「…………」

 

 今だ何かを言い合っている二人を睨みつけながら、必死に思考を巡らせる。

 憎しみが滾る心をそのままに、頭を冷やして静かにし、思いと考えを纏めようと、情報を巡らせる。

 

 オレの狙いは女だけだが……仲間である以上、あの男は確実にさっきみたいに庇ってくる。

 そうなると男と女、二人同時に相手をすることになってかなり面倒だ。

 ……いや、先程から一言も発していないが、向こうにはもう一人女子生徒がいる。三人と同時に、しかもこの狭い廊下で戦うことになると……正直、いくら強いオレでも勝てる気がしない。

 

 どうすれば一対一で、確実に各個撃破していくことが出来るんだ……?

 良い方法が無いものかを、必死に考え続ける。

 が――

 

「あぁ〜くそっ! もうめんどくせぇ! お前、オレと一騎打ちしろ」

 

 ――突然頭かきむしり、女との会話を無理矢理終わらせ、右手に握る剣の切先をこちらに向けた男がそんなことを言ってきた。

 

「話は単純だ。お前が勝てば、お前が憎んでいるこの子を大人しくお前に渡してやる。だが俺が勝てば、大人しく俺達に協力してもらう」

 

 ……どうやら、考える手間が省けそうだ。

 

「どうだ? 悪い条件じゃないと思うんだが」

「確かにな……だがお前は、自分にとって不利な条件を突きつけたんじゃないのか?」

 

 その訝しむようなオレの質問に、目の前の男は――

 

「なぁに、お前が相手なら、俺一人でも十分だよ」

 

 ――あの時と同じ、獲物を見つけた肉食獣のような鋭い眼つきと、心底愉(たの)しんでいるようなニヤついた笑みを浮かべて答えてきた。

 

「上等!」

 

 同意の意味と、自らを鼓舞する意味。

 その二つの叫びを吼え、全力で男に向けて駆け出す。

 

 ふと、自分の口元が男と同じぐらい釣り上がっていることに気付く。

 だがそうなっている自分の気持ちを考える間もなく、手元にある剣を身の丈はあろう槍に姿を変え、両手で握る。

 

 あと二歩で槍の間合い……!

 

 と、その時、男は剣を握っていない方の手で、壁に触れる。

 

 あと、一歩……!

 

 踏み出し、踏み込もうとした瞬間、目の前に壁が飛び出てきた。

 

「んなっ……!」

 

 突然な出来事に完璧な対応ができず、こけそうな程崩れた無様な体勢で数歩、後ろに下がる。

 

 が、その背中に何かが当たる感触。

 思わず首だけをそちらに向けると、そこには目の前に現れたのと同じ壁。

 ……どういうことだ? 横の壁が伸び、オレを閉じ込めているとしか……。

 

「峰俊哉」

 

 と、男達がいた方向から、オレの名前を呼ぶ声。

 間違いない。あの男だ。

 

「あんたさ、今まで真正面から戦ったこと、無かっただろ?」

「何……?」

「他人同士の戦いに割り込み、驚いているところに一撃。そんなことばっかやってきただろ。……それが、今回の敗因だ」

「…………」

「無言、か。ま、認められない気持ちは分からんでもないがな。で、どうする? 敗北を認めるか? もし認めるなら、俺に協力してもらうことになるし、認めないなら、この状況を打開してもらうことになる」

「…………」

 

 この状況を打開……? ……そんなもの、無理に決まっている。

 前と後ろは横から伸びる壁に防がれ、横には当然壁がある。

 この状況から逃げ出すことなんて……オレに出来るわけが無い。

 

「…………」

 

 いまだ心の中の怒りは滾っている。憎しみも全く消えていない。

 が、それでもこの壁に囲まれた状況は、否が応でも心に圧迫感を与えてくる。なまじ自分の力ではどうすることも出来ないとわかっている分、ソレは尚のこと大きい。

 このまま無様に朽ち果てるか、パニックを起こして無様な姿を向こうに想像させるか……このままだと、その二つしか残されていない。

 熱い心に反し、冷えた頭はそう判断を下してくる。

 

「……わかった、オレの負けだ……。お前に、協力しよう」

 

 だからオレは、渋々と負けを認めることしか出来なかった。