「ふっひ〜……気持ちイイ〜」
頭上から降りかかる声。
「やっぱ殴るならサンドバックよりコイツだよな」
土と血が混じった味が口の中に広がってくる。
「おいおい、もう立てなくなっちゃったのかなぁ〜?」
顔が痛い。体中が痛い。
内臓が軋む。心が軋む。
五人の男に囲まれて、何度も殴られ何度も蹴られ、足に力が入らなくなって倒れたら、今度は何度も踏まれ、何度も蹴り上げられ……。
意識が体から離れそうになるほど朦朧とする。
それでも何故か、相手の言葉は明確に聞き取れる。
「分かってんのか峰ぇ? 何でお前が、こうしてボコボコにされてんのかをよ」
しゃがみ、髪を掴まれ、無理矢理顔を上げさせられる。
霞む視界に辛うじて映るのは、相手の醜い顔。
聞き取れてはいる。でも、返事を返すことなんて出来ない。
痛みと恐怖に震えた体じゃ、口を動かして声を出すことなんて、とてもじゃないが出来っこない。
「それはよ〜……お前がムカツクからで〜っす!」
ニヤニヤとした表情のまま、髪を掴んだ腕を振り上げ、そのまま地面に向かって振り下ろされる。
額から、地面に叩きつけられた。
朦朧とした意識が一瞬、引っ張り戻される。
でも次の瞬間にはさっき以上に意識が体から離れ、痛みのみが額に残っている。
……何度目だろう。こんな目に逢うようになってから。
ゴールデンウィークが明けるまでは、何とも無かった。一人で教室で過ごすことが出来ていた。
でも、気が付けばボクは、イジメられていた。
最初は小さなものだった。当時は大きく感じていたが、ここまで直接的な暴力になると、昔はホント小さなことだったと思う。それこそイヤがらせみたいなものだ。
靴をなくされたり、教科書がゴミ箱から切り刻まれて見つかったり、体育の後ズボンが無くなっていたり、頭からバケツの水を被せられたり……その程度で済んでいたのだから。
六月初旬――つまり今となっては、こうして無理矢理人目につかない校舎裏に連れて来られて、集団で殴られっぱなしの日々。
……どこで、歯車が狂ったのだろう……?
肩がぶつかった時の謝罪が悪かった時から? 箒で体を突付かれても無視していた時から? さっき言った軽いイジメを仕方が無いと享受するようになってから? それとも……ボクがこの学校に入った時から?
……わからない。
「ホントお前って、見てるだけでムカつくよな」
だって彼らは、ただ何となく、ボクを見ているとムカツクから殴るだけだと、言ってくるのだから。
「だいたい何だよ、その右腕の包帯」
ボクの右腕に巻かれた、指の付け根から肘にかけて存在している包帯。
大怪我をしている訳じゃない。
だから、巻いてる理由なんて大したことじゃない。
ただこの中に、こいつらのイジメがまだ軽かった時に負わされた火傷の痕が、クッキリと残っているだけ。自分で見てもあまりにも痛々しいから隠しているだけだ。
……火傷自体はとっくに完治している。
だから、大した理由なんかじゃない。
見ればあの時の痛みが蘇り、腕が疼くから、自分でも見ないように隠しているだけ。
「あの時の火傷は治ってんだろ? じゃあ何で巻いてんだよ」
「アレだろ? 俺怪我しちゃってるんだかわいそうだろぉ〜、って皆にアピールしたいんだろ?」
「だっせぇ! そもそもテメェなんか誰も見てねぇよ!」
ゲラゲラと、下品な笑いが聞こえてくる。
この声を聞くたびに、思う。
こんな目に逢う度に、思う。
こいつらを殺す力が欲しいと。
今の自分じゃ何も出来ないから、力が欲しい。
こんなやつらをぶちのめすことが出来る、力が欲しい。
誰も寄せ付けない、全てを屠る、そんな力が欲しい。
「あ〜あ……だいぶストレス発散になったなぁ」
「そうだな……っつか、何か飽きてこね?」
「ああ〜……それは言えてる。何か新しい事したいよな」
「おっ、そだ。んじゃコイツの左腕も包帯まみれにしね?」
「どうすんだよ。また火傷でも負わすのか?」
「バ〜カ。んなことしたってすぐに治っちまうだろ? 三ヵ月ぐらい腕を動かせなくすんだよ」
本当にやろうとしていることが伝わるその言い方に、一瞬だけ思考が停止してしまう。
動いた思考が意味を理解すると同時、寒さとは別の大きな震えが身体中を駆け巡る。
そのせいで、体から離れようとしていた意識が無理矢理呼び戻される。
それほどまでに、怖かった。
逃げ出したかった。
助けて欲しいと訴えたかった。
「おお〜……めちゃめちゃ良いじゃん。要は腕を折るってことだろ?」
「そそ。そういうこと」
「あ、じゃさ、その後にやりたいことあんだけど」
「なに?」
「腕折った後にナイフ刺したら痛みってあるのかどうか実験したいんだよ」
「骨折られた上にナイフで腕を滅多刺しかぁ〜……良いね、それ」
「だっしょ? っつかゼッタイ痛がって叫ぶからおもしろいって」
でも、逃げ出せない。
訴えるための声を上げることも出来ない。
すでにボロボロにされたこの体は、遠のきかけた意識を呼び戻すだけじゃ、とてもじゃないが動かすことなんて出来ない。
だから……どうせなら、意識なんて無くなっていて欲しかった。
そうすれば、痛みや恐怖を感じることもなかったから。
「でもよぉ〜……そこまでして大丈夫か?」
「あ? お前ビビッてんのかよ。こんなヤツ相手に」
「じゃなくて、警察に捕まったりしねぇのかって話。さすがにそれは俺勘弁だぞ」
「大丈夫だって。だって俺達、成績は優秀なんだぜ? コイツと違って。頭良いヤツが頭悪いヤツに何かしたって問題ないだろ? っつか問題あったとしても、オレ達が白切れば大丈夫に決まってんじゃん」
「そうそ。頭良いヤツか悪いヤツか、どっちを信用するかっつったら、良いヤツだっしょ?」
「っつかもし問題になったら俺の親父が何とかしてくれるって」
「そう言やお前の親父、警察署長と親戚らしいな」
だからボクは、このまま無抵抗に、左腕を折られるだけなんだ。
意識をそのままに。
痛みを感じるままに。
そんな冷静な言葉が、頭の片隅に過ぎる。
あまりの恐怖で、逃げ出したい一心のはずなのに。
「んじゃ、腕折るぞ〜」
左腕が掴まれ、引っ張り上げられる。
腕の付け根を踏みつけられながら、自分ではゼッタイに曲げられない方向へと、引っ張り上げられる。
痛い。痛い。痛い、痛い、いたいいたいいたいイタイイタイイタイイタイイタイ……!
助けてください許してください! 腕を折らないで下さい腕を放して下さい! 何でもしますから他のことなら何でもして良いですからだからせめて腕を放して下さい! 痛いんです! 本当に痛いんです! 今までとは比べものにならないほど痛いんですっ! 本当にお願いします助けてください放して下さい……!
「がぁ……っ!」
「おっ、ようやく何か喋ったぞこいつ」
「喋ったつうよりも痛くて声が出たって感じだけどな」
「言えてる〜」
ギチギチって聞こえてくるんです耳元で自分の骨の音が聞こえてくるんです! だから止めてくださいこれ以上は本当に折れてしまいます……!
「あ? 何か言いたいのか?」
「そりゃお前、こいつの言いたいことなんて決まってんじゃん」
「ん? 何よ、お前わかるのか」
「当然。こいつイジメ続けてりゃイヤでもわかる。こいつはな……もっとやってくれって言ってんだよっ!」
「はっ! だったら望みどおりしてやりゃぁ!」
やめてくださいやめてください! どうしてこんなことするんですか! 痛いんです本当にやめてください! ボクが何をしたって言うんですか! ボクは何もしてないじゃないですか! だから本当にやめてくださいお願いします!
「ん〜……意外に折れねぇもんだな」
「力のかけ方が悪いんじゃねぇの? ほれ、貸してみろよ。こういうのは力任せじゃダメなんだよバカが。角度と絶妙な力加減がだな……」
……力……力があれば……力さえあれば……こんなヤツらに負けない力さえあれば……こんな痛い思いをせずに済むのに……こんなヤツらに、今のボクと同じ目に逢わせることが出来るのに……!
……力が欲しい。
誰にも負けない力が欲しい。
全てを屠れる力が欲しい!
憎いこいつらを殺せる、そんな力が欲しいっ!
憎い。憎い。憎い、憎い、にくい、にくい、にくいにくいにくいにくいにくいにくいニクイニクイニクイニクイニクイ……ッ!
人類のゴミであるこいつ等が憎い! 何の罪も無いボクの腕を折ろうとしているこいつ等が憎い! ボクをただのストレス発散として殴りつけてくるこいつ等が憎いっ!
だからこいつ等を、屠れる力をっ!
憎しみが頂点に達した。
頭の中が真っ黒になった。
こいつ等が無様に血を流して死ぬ光景が、何度も何度も、頭の中を過ぎり続けた。
だが次の瞬間、突然視界が白けた。
電源が切れたテレビのように、プツンと、いきなり視界が真っ白になった。
何も見ることが出来ない、真っ白な世界。
でもそれも僅かな時間で、だんだんと、視界が元に戻っていく。
今まで見ていた世界に戻されていく。痛みのある世界に戻っていく。
そして何故か、頭の中がスーッとしていく。視界が戻れば戻るほど、世界に戻れば戻るほど、頭の中が静かに静かになっていく。
それはまるで、頭の中にあった真っ黒なもの全てが、どこかへいってしまったような……そんな感じ。
ふと気が付けば、掴まれている左腕の痛みが和らいでいる。……いや、違う。和らいでいるんじゃない。抵抗出来ているんだ。相手が倒そうとしている方向とは逆の方向に、力を入れることが出来ているんだ。
……あんなに、身体に力が入らなかったのに。喋ることすら叶わなかったのに。意識が遠のくほど、ボロボロにされていたのに。
まるで、さっきまであった頭の中の黒いものが、体中に行き届いたかのような……。
……不思議には思う。
でも、今は関係ない。
“オレ”は左腕に力を込め、腕を掴んでくるヤツとは反対方向へと力を込める。
「なっ……!」
突然の抵抗に、腕を掴んでいた男が驚きの声を上げ、オレの腕を放す。
「おい、どうしたよ」
オレから距離を取るように離れたそいつに仲間が声をかける。……掴んでいたあいつ本人しかわからなかっただろう。オレから発せられた、このあまりにも圧倒的な力は。
「いや、それが……」
男が説明しようとしている隙に、ゆっくりと地面に両手を付け、膝を立たせ、脚に力を込め、立ち上がる。
「なっ……!」
男達の驚きの声が背中から聞こえる。
その声を視界に収めるように、ゆっくりと、そちらへと振り返る。相変わらずの猫背はそのままに。
「なんだ……お前……!」
誰か一人の声が聞こえる。もしかしたらかなり不気味だったのかもしれない。
無造作に伸びた髪や自覚のある根暗な雰囲気。傷だらけの顔や汚れた服をそのままに、中学一年生としては高めの背を猫背にしているその姿は。
「何でお前……立ち上がれんだよ!」
「今までやられてるフリしてやがったな!」
「峰のくせに調子乗りやがって!」
色々な罵倒が耳に届く中、オレは頭の中で響く声に意識を向けていた。
視界が白けた瞬間から聞こえ続けていた声の意味を、理解しようとしていた。
声はただ、オレの頭の中で訴え続ける。
“オマエノノゾムチカラガアル”と。
“お前の望む力がある”と。
オレの望む力……それはもしかして、毎日のように頭の中で繰り返していた、あの力のこと指すのだろうか……?
殴られ、蹴られ、今みたいにボロボロになったその日の帰り道に、いつも想像していたあの力のことを指すのだろうか……?
醜い火傷の痕を隠すように巻かれた包帯が、オレの望む武器へと姿を変え、オレをボロボロにしたそいつらを、オレ自身の力で殺す。
オレは変化した武器を自由自在に操り、驚くそいつらを問答無用で殺していくのだ。
中には反撃しようとしてくる者もいたが、人外とも言える程圧倒的な反射神経と身体能力を手に入れたオレの足元にも及ばず、そいつもあっさりと殺される。
そんな、妄想とも言える想像を、毎日のようにイジメられてきたから、毎日のように繰り返してきた。
その力が今、オレの中にあると言うのか……?
試しにオレは、身の丈はあろう鎌を欲してみる。
すると包帯が、自然と解け始めた。キッチリと結ばれていたはずの結び目が解け、オレの腕から離れていく。そしてソレは、オレの開いていた手の平の中で光の塊のように纏まり、瞬間、ピンッと張り詰めて鎌の形を成す。
手の平にある、柄であろう部分を掴む。
と同時、眩しくも無い輝きが収まり始め、気が付けばオレの手の中には、望み通りの長さを誇る漆黒の鎌が握られていた。
「な、んだ、そりゃ……」
目の前に立っている誰かが、驚きの声を上げている。
その姿を見るために、オレはようやく視線を上げてそいつらの顔を眺める。
……皆一様に、驚愕の表情を浮かべていた。
「……に笑ってんだよ……!」
笑ってる……? ……そうだな。確かにオレの口元は、自覚できるほどに吊り上っている。
だって当然じゃないか。
望みながらも、不可能だと自覚していた力が、今オレの手の中に握られている。その嬉しさと、相手を恐怖に貶めているという喜び……それら二つの感情と、何とも言えない高揚感が今、オレの中を満たしている。
「笑ってねぇで……さっさとそれが何か答えろよっ!」
「くっ、はは……っ」
恐怖心からか、余裕の無い叫び声まで上げているその姿。滑稽なソレを見ていると、口元のニヤつきだけじゃ止められず、堪えきれなくなった笑い声が漏れ出てしまった。
でも……まだだ。
本当の恐怖を、向こうはまだ味わっていない。オレが味わってきた恐怖は、叫び声すら上げることが許されぬほどのものだった。
だから、まだまだだ。
「だから……何がおかしいっつってんだろ!」
「何も」
別のヤツの叫び声に、ようやく返事をする。
「何も、おかしくはない。ただ、楽しいだけだ」
「楽しいだと? 何が――」
「ようやく、お前たちを殺せることがだよ」
相手の言葉を遮り、一息に間合いを詰める。
目標は集団の先頭。
鎌を振りかぶり、一息に、胴を横一文字に切断する。
「がっ……!」
斬られた男が、倒れる。
本来のオレなら振り回すことも出来ぬ重さを、オレは容易に振り回した。
……そう、これこそが、オレの望んだ力……!
「なっ……!」
男達が、言葉を失う。
今までのオレとの違いに驚き、仲間があっさりと殺されてしまったことに驚き、何の反応もしなくなる。
シンっ……と、世界に不釣合いな静けさが広がる。
でも、それも一瞬。
「う、うわあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」
「ま、マジヤバイって……!」
「イ、イヤだ……死にたくない……!」
「助けてくれ……! な! 俺とお前の仲だろ!?」
次の瞬間には、皆がうるさくなる。
今まで自分達がオレに向けてやっていた行動を省(かえり)みずに、身勝手なことを言ってくる。
だが、それも構わない。
だってこれこそが、オレの望んだ恐怖……!
この無様な醜態こそ、オレが見たかった光景……!
あまりにも呆気なく、仲間が死んだ。
あまりにも簡単に、仲間が殺された。
それは自分も、呆気なく、簡単に殺されるという、何よりの証でしかない。
だから、目の前のこいつ等は恐怖している。
逃げ出すということも出来なくなる程の恐怖。オレが日常的に味あわされてきたソレを、今こいつらは味わっている。
だから次は……命乞いすら出来なくなる程の恐怖を。
何も喋ることが出来なくなる程の恐怖を、こいつらに……!
「ぎょっ……!」
次に近くにいた、オレの脇を抜けて逃げ出そうとした男。
そいつの首を、斬りおとす。
……さぁ……復讐は、これからだ。