「おはよう、橙耶くん」

 

 そんなこんなで翌日の朝、学校へと向かう道の途中。

 後輩と妹といういつも通りのメンツで電車に乗り、同じ学校の学生達で溢れる電車を降り、集団の中に紛れながら学校へと歩いていくだけのその道の始まりに、彼女は立っていた。

 

「あれ? 奈弦先輩?」

「そ、奈弦先輩よ」

 

 駅の出入口にある柱に背を預け、優雅に佇むその姿。ただそうして普通に立っているだけなのに、駅から出てくる全生徒の注目を浴びているその姿。

 生徒会長という彼女の立場を皆も知っているからだろう。何故か皆見えない壁に沿って歩いているかのように、彼女の元へは近付かない。男女問わず通り過ぎる時にチラりと一瞥するだけで、声をかけるなんて真似を誰もしない。

 

「どうかしたんですか? いつもは生徒会の仕事とかで朝早くから学校にいるんじゃ……」

 

 だがそんな中、数少ない例外ともいえる橙耶のみがその見えない壁をすり抜けて彼女の元へと近付いて声をかける。

 

「いつもは、ね。今日は仕事が無いから、気紛れであなたを待ってたの。まさかここまで遅いとは思ってなかったけど」

 

 橙耶の質問にそう答えながら、橙耶の後に付いて来るかのように駆け寄ってきた後ろに立つ後輩と妹――ブスっとした視線を向けている美咲とポ〜っとした視線を向けている優衣へと顔を向ける。

 

「あなたの方は始めまして、かな」

 

 そして初対面の優衣に気付いたのか、彼女へと一歩近付き右手を差し出す。

 

「橙耶くんの妹さん、でしょ? 始めまして」

「あ、は、はいっ! は、始めまして!」

 

 何に緊張しているのか、妙に上擦った声で返事をしながら奈弦と視線を合わせるように見上げながら左手を差し出す。

 が、間違いだったと気付いのか慌てて引っ込めて、改めて右手を差し出してその手を握る。

 

「ふふっ、緊張しなくても良いのよ。あなたのことは橙耶くんから聞いてるわ」

「あっ、はい! 光栄です!」

「なんでも、とてつもなく寝起きが悪いとか」

 

 瞬間、優衣は握っていた手を離して傍らに立っていた橙耶の胸倉を掴み掛かりだした。

 

「あんたあたしのいないところで何てこと言ってくれてんの?」

 

 奈弦との距離を掴みながら無理矢理開けさせ、さらには爪先がつくかつかないかぐらいの高さまで掴み上げて下から見上げるように睨み付ける。上目遣いなんてものとは程遠い、前髪の影で半分隠れたその漆黒の鋭い瞳は橙耶に恐怖を感じさせるには十分だった。

 

「い、いやぁ〜……その……妹がいるって話したら、どんな娘? って聞かれたから、つい真実を」

「真実? じゃああたしもあんたのいないところであることないこと吹き込むわよ?」

「いや、あることを吹き込めよ……っていうか優衣、お前って奈弦先輩のこと知ってたのか?」

「当たり前でしょ! あの高い腰の位置とスラッとした長身、サラッとした長くてキレイな黒髪に怯えの見せない雰囲気と鋭くて自信に満ち溢れたその瞳! もう全部が全部良いじゃない! 男女問わず人気者なんだからっ!」

「あぁ……確かにね」

 

 そう答えながら、美咲と何か話している奈弦にチラりと視線を向ける。

 

「人気者だ、ってのは頷けるかな」

「でしょ? しかもドリルも似合いそうだし!」

「…………えっ? そうかな?」

「そうじゃない! 今あたしが見てるアニメの副主人公にピッタリよ! ま、アニメの方は男なんだけど」

 

 その辺の感性は優衣でないと分からない部分だろう。

 

「それなのにあんたは……あたしの好感度が下がるようなことを……!」

「いや下がるも何も今日始めて出会ったのにって痛い痛い痛い! 締め上げないでっ!」

「それは無理な相談よ……お兄ちゃん」

「うっわ、何か殺されそうな雰囲気がプンプンする『お兄ちゃん』だ! イヤ待て早まるな優衣! だって優衣のそんな話をしてる時の奈弦先輩はとてもおもしろそうにしてたぞ!」

「それはバカにしてでしょ?」

「違う違う違う! カワイイ妹さんだねって言ってたぞ!」

 

 途端、締め上げられていた力が少しだけ緩む。肺の中の酸素が無くなる前にと全力を出していた橙耶は、減った酸素を急いで補給すると、そのまま地面へと降ろしてもらうために必死になって言葉を続ける。

 

「ほらっ、もしかしたらコレを機に仲良くなれるかもしれないよ! その様子だと優衣、奈弦先輩と仲良くなりたいんでしょ!?」

「ま、まぁ……確かに、仲良くはなりたいけど……カッコイイし、あたしにとっての理想像だし、憧れの人だし……」

「だったら今がチャンスだよ! この登校路で親密になれば良いんだよ!」

「そ、そうかな……二つも年離れてるけど、仲良くなれるかな?」

「なれるなれる! 現にああして朝霧さんとは仲良く話してるじゃないか! ほら、二人ともニコニコしてるよ」

「寝屋を一緒に出来たりする日も……?」

「寝屋……? あぁ、お泊りするほど仲良くなれるかだね。もちろん、そうなることも可能だと思うよ!」

 

 とまぁ、そんな感じで何とか優衣からの絞め上げを解いてもらおうと必死になっている橙耶の傍らで、美咲と奈弦は互いに不敵ともいえるニコやかな笑みを携えて対峙していた。

 

「あらあら美咲ちゃん、今日もまたそんなツインテールなんて子供っぽい髪型して」

「いえ会長さん、私のこの髪型はツーサイドアップって言うんですよ? それに会長さんこそ、そんな子供以下の胸囲を引っ付けてどうされました?」

「……ふ〜ん……昨日初めて会ったあの時のあなたの姿が霞むほどの口ぶりね」

「いえいえそんな、会長さんとは“お友達”ですから」

「ふふふふふふふふふ……そういえばそうだったわね」

「えぇ、そうなんですよ」

 

 なんて、互いに不敵な笑い声を上げながら空気を凍らせ合いつつ、チクチクと口撃を繰り出し合う。

 

「で、今日はまたなんでそんな気紛れが起きたんですか? 上辺だけの理由説明じゃない本音を聞かせてくださいよ、友達なんですから」

「私はただ、橙耶くんと一緒に登校しているある人物が胸の脂肪で彼を誘惑しようとしているのではと懸念しただけよ。で、もし誘惑していたらその脂肪を引きちぎってやろうかと思っただけ」

「あぁ、そういうことだったんですね。ま、会長さんには望んでも手に入らないものですから、ひがむ理由も分かりますけど」

「別にひがんでる訳じゃないわよ。ただ橙耶くんはそういう身体的なもので人を見ないから、もし誘惑なんてされてたら彼が迷惑がってるかと思っただけよ。たとえ迷惑でも迷惑だと言わないのが彼の良い点でもあり、悪い点でもあるからね」

「それには概ね同意ですけど、だからこそあたしは誘惑なんてこすくてやらしい手段、思いつきもしませんでしたよ。会長さんと違って」

「私だって自分から思いついた訳じゃないわよ。ただ、世間一般の意見を言っただけ」

「そうですよね。だって会長さんには、誘惑するための“モノ”がありませんから」

 

 そこまで言い合ったところで、互いに無言。相変わらずニコやかに、だけど雰囲気だけはその逆のままに。

 電車から降りたほとんどの人が二人に注目しながらも学校へと向かい、次の電車が来るまで誰もいなくなった静かな駅前で、無言のまま対峙を続ける。

 

「……っ!」

「……っ!」

「あ、そろそろ行きましょうか、朝霧さんに奈弦先輩」

 

 と、互いにアクションを起こそうとしたところで、橙耶のそんな声が割り込まれる。

 

「話なら歩きながらも出来ますし、さすがに同じ電車に乗ってきた人皆が行っちゃいましたしね」

「……そうね……話は歩きながらでも出来ますよね、会長さん」

「……えぇ、まったくもってその通りだわ、歩きながらでも大丈夫よね」

 

 そうして二人の言葉を合図に、学校への道を歩き出す橙耶と優衣。

 その、橙耶の視界から美咲と奈弦の二人が外れた刹那――

 

「っ!」

「っ!」

 

 ――美咲はブレザーのポケットから例の人型紙を取り出して右腕を折り曲げ、奈弦は左足を軸に躯を回転させ脇腹目掛けて蹴りを放った。

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」

 

 美咲は脇腹を、奈弦は右腕を抑えてその場に勢い良く蹲った。

 声を上げなかったのは橙耶に心配されないためなのだろう。

 

「ん? どうかした? 二人とも」

「いえ別に、何も無いですよ、橙耶先輩」

「そう、何も無いのよ、橙耶くん」

 

 何故なら、歩いてこない二人を心配して振り返った橙耶に対し、心配掛けまいとわざわざ立ち上がって何食わぬ顔を引きつりながらも必死に作って受け答えをするのだから。

 

「……? そう……?」

 

 その姿に多少の疑問を感じながらも、再び前を向いて学校への道を歩き出す橙耶。

 それを確認した後、二人は再び痛む場所を押さえながらしゃがみ込む。

 

「会長さん……蹴られた脇腹、ハンパなく痛いです」

「美咲ちゃんこそ、腕折れたんじゃないかってぐらい痛いわよ」

「そりゃ、蹴られたタイミングで曲げましたから。加減なんてしてませんよ」

「自業自得とでも言いたい訳? にしてもそれ以上に、どうやってまた私の血をその人形に塗ることが出来ているのかを知りたいのだけれど? 確か昨日のは私が家のゴミ箱に捨てたはずだし」

「乙女の秘密です。知りたかったら……私より早く橙耶先輩の隣を歩くことですね!」

 

 瞬間、傷む体を無理矢理起こして橙耶たちの元へと駆け出そうとする美咲。

 

「分かったわ、よ!」

 

 が、そこに狙い澄ましたかのような奈弦の足払いがキレイに炸裂! だが何とか顔から地面へと向かっていく体を両手で支えることで、地球とのキッスは逃れることに成功する。

 でもそうして美咲が安心している隙に、奈弦もまた体を起こしてカバン片手に橙耶の元へと駆け出そうとする。

 

「っ!」

 

 しかしそれを美咲は許さず、手の中に収めている人型紙の両足を思いっきり折り曲げる!

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」

 

 再び訪れた何とも言えない内側からの痛みに、その場に膝から崩れ落ちる奈弦。橙耶のために悲鳴を上げそうになりながらも耐えたのはさすがと褒めるべきか。

 

 そして肝心の橙耶はと言うと、優衣との会話に夢中で(というより優衣からの奈弦に関する質問攻めに苦戦中で)二人の方へと向く気配は皆無。

 だから彼の後ろでこんなにも二人が必死になっていることに気付いていない。

 

「っ!」

「っ!」

 

 こかされたり、体の中に痛みを走らされたり、蹴られたり、呪いの痛みで声を荒げそうになったり……互いに必死になりながら橙耶の隣へと向かおうとしているその姿に、まったく気付きもしない。……もちろん優衣も奈弦に関することを質問するのに一杯一杯で、しかも激しく緊張しているせいでむしろ気付く気配は橙耶よりも低い訳で……。

 ……まぁ彼女の場合、何かに夢中になると周りが見えていない節があったから当然といえば当然なのか……。

 

 とまぁそんな訳で、結局学校に着くまで二人のどちらかが橙耶の隣を歩くことは無かった。

 ……絶妙な感じに橙耶との距離を開けないように互いに邪魔をしあいながら歩き続けた結果が、こうなった訳だ。

 

 ちなみに橙耶はこのことに対して、二人はやっぱり友達になれたんだなぁ、なんてのん気なことしか思わなかったとか。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 昼休み。奈弦は意気揚々と生徒会室へと足を運んでいた。

 朝は結局、橙耶と一緒に隣を歩いて登校することは出来なかった。が、美咲と二人きりに近しい状況にさせなかっただけでも十分な成果といえる。

 だからそれが嬉しくて、自然一緒にお弁当を食べるための場所へと向かう足も軽くなる。

 

 それに彼女の場合、美咲とは違って二人きりになれる状況を邪魔される心配も無い。楽しい昼食の時間を、邪魔される心配が無い。

 生徒会室への鍵は会長である自分しか持っていないし、橙耶が入ってきた後は鍵を掛ければ無理矢理進入される心配も無い。

 もしかしたら昨日のような行動を取ってくるかもしれないが、それもまた昨日と同じように追い返せばすむ話。

 だから自分は美咲と違い、二人きりの状況を邪魔されるなんて事は気にする必要も無いのだ。

 

「あ、会長さん。お待ちしてましたよ〜」

 

 だから、自然と緩んだ頬のまま生徒会室の鍵を開けて中を覗いた時に、既に美咲が自分の指定席に座って紙パックのジュースを飲んでいた時は思わず固まってしまった。

 

「…………」

「…………」


「……………………あれ?」

 

 美咲の言葉に反応することも出来ず、とりあえずそれだけ小さく呟いて一旦扉を閉める。

 そして上に掛かっている教室案内を見て「生徒会室」と書かれているのを指差してまで確認した後、気を取り直すように大きく深呼吸して思いっきりドアを開けてそのまま走りこむようにして中に入り勢いをつけてその椅子に座っている彼女の向かって飛び蹴りを放った。

 

「ちょっ……!」

 

 突然の攻撃に驚きながらも、何とか両手を合わせてその足の裏を受け止める。が、素人当然の動きしか出来ない彼女はその勢いを殺すこともいなすことも出来ず、そのまま椅子ごと後ろに倒れる。

 そしてそのまま奈弦は、昨日と同じように再び彼女のマウントポジションをとる。

 

「……ここは私の指定席なんだけど?」

「あっ、ごめんなさい。それは気付きませんでした」

「じゃなくて、どうしてあなたがこの指定席に座ってるの?」

「どうして、と聞かれましても……近くにありましたから」

「そうでもなくて……その、どうしてこの部屋に入れてるの?」

「あっ、もしかしてさすがの会長さんでもちょっと動揺してました? この本題に入るまでにどう質問して良いか、迷ってましたよね?」

「……良いから答えないと、昨日と同じように胸を揉みしだくわよ」

「わっ、わかりましたよ……まったく、そんなに私の豊満な胸をイジリたいんですか? 自分に無いも――あ、ごめんなさい。早く本題に入りますから、そんなに睨み付けないで下さい」

「ふんっ……で、どうやったの? ちゃんと窓の鍵も閉めてから、私は家に帰っているのだけれど……?」

「まったく、会長さんも分かってませんね。学校の窓の鍵なんて、大きく上下に動かしたら開いていくもんなんですよ」

「なるほど……じゃあそうやって不法侵入したと?」

「いえ、ちょっと紙人形の応用を利かせて内側から鍵を開けさせましたけど?」

「よしっ、とりあえず裸に引ん剥きましょう」

「ご、ごめんなさいって! ちょっとした友人への冗談じゃないですか!」

 

 本当にブレザーのボタンを外して中のカッターシャツへと手を伸ばしだした奈弦のその行動に、さすがの美咲も焦る。

 必死に身をよじって何とかボタンに手を触れさせないように足掻きながら続ける。

 

「ちゃんと話しますから! こっから先はふざけませんからっ! だからお願いしますって! やめて下さいよっ!」

「……じゃあやめてあげるから、橙耶くんが来る前にこの部屋から出て行ってくれる?」

「あ、それは無理です」

「そう言えば美咲ちゃんのブラの色って何色なのかな?」

「や、ちょっ、脱がそうとしないで下さいって! だいたい朝の登校を先に邪魔してきたのは会長さんじゃないですか! だったら私だって、こうしてお昼の二人きりの時間を邪魔する権利ぐらいありますよねっ!?」

「無いに決まってるじゃない」

「あるんです! だってもしここで私を除け者にしてみてください! これでも私、前の授業サボってまで部屋に侵入しましたから、この部屋に何をしたのか分かりませんよ!」

 

 この言葉に、奈弦はボタンに掛けていた手をピタりと止めた。

 

「……一個前の授業をサボってまで……? 学生としてそれはどうかと思うけど……」

「いえ、今日の朝のために、生徒会長としての朝の仕事をほっぽったのも私はどうかと思いますけど……」

「良いのよ私は。日頃の行動が真面目だし」

「私だって、いつもは真面目に授業を受けてますよ。ただ今日は、橙耶先輩とあなたを二人きりにさせるのと天秤にかけた結果、こっちが重かっただけの話です」

「ふ〜ん……で、この部屋に何をしたの?」

「言うと思いますか?」

「思わないけど、一応」

「まぁ言いませんけど、ただ呪いの効果ぐらいは教えてもいいですよ。なんせ会長さんは、私にとっての親友ですし」

「じゃあ教えなさいよ」

「下着も含めた全ての服が破けます」

「……………………」

「昨日胸を揉みしだくとか言ってたので、ソレに則って下ネタ系で攻めてみました。あっ、もちろん会長さん限定でですよ? 橙耶先輩の裸も見てみたいですけど……やっぱ羞恥心を感じさせるためには一人の方が効果ありそうでしたから。もし私を追い出したら、ソレを発動させますよ?」

「脅迫、って訳ね……」

「ですね。でも、明確な凶器をチラつかせていませんから、脅迫罪とか色々なものは適用されませんよ? 所詮は電波女の妄言、だとでも思われますから。あ、もちろん会長さんもそう判断して、私を追い出しても良いんですよ?」

「そんなこと出来る訳ないでしょ……既にあんたの呪いであんなに痛い思いしてるんだからさ……信じざるを得ない訳ね」

 

 諦めるようにしてそう呟いた後、奈弦はようやく美咲の上から退いて、倒れたままの美咲に手を差し伸べた。

 

「ま、これもある種の因果応報なんだし、諦めることにするわ。まだ親友のあなただからこそ許されることなんだけど」

「あっ、嬉しい言葉と手、ありがとうございます」

 

 差し伸べられた手を握り締めながら、倒れた体を起こして服についた埃を払う。ついでに外されたブレザーのボタンも留めておく。

 

「まったく……親友だなんだって言ってなかったら、ボコボコにして無理矢理解除させたのにな……」

「生徒会長の言葉とは思えませんね」

「でも、美咲ちゃんだって同じ状況ならそうするでしょ?」

「ま、相手が会長さんか橙耶くんで無ければ、確実に呪い倒しますね、そんな脅迫されましたら」

 

 奈弦はさっき美咲と一緒に倒れた自分の指定席を起こして座りながら、美咲は隅っこにあった椅子を引っ張ってきて座りながら、二人してそんな他愛も無い会話をする。既に諦めきったのか、話している奈弦の表情も柔らかい。

 だから二人して、傍から見れば本当に友人に思えるような仲良さで話をしながら、お弁当を持った橙耶の登場を待っていた。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 そうして、橙耶を巡っての一日が過ぎた。

 当の本人はいつもよりにぎやかだったなぁ、としか感じていなかったようだが、概ね平和に、今日の一日は過ぎ去っていった。

 

 本当に仲良くなっていた先輩と後輩。お弁当のおかずのことや料理が出来るのかといったこと、学校での成績から休日の過ごし方まで、聞く人にとってみればどうでも良いことを、本当に仲良く話していた。それが純粋に嬉しくて、人見知りが激しいと悩んでいた後輩が笑っているのが嬉しくて、家柄の縛りを忘れている先輩の姿が嬉しくて、今日はこのまま何事も無く過ぎ去ると、そんな根拠の無いことを、当たり前のように信じて一日を終えようとした。

 

 でもそれは、やっぱり根拠の無いことでしかなくて……いつもと違う変化が、放課後にもあったのだ。

 

 ただそれが、朝や昼のように、自分にとって嬉しくて、賑やかなものだったら歓迎だった。

 でも、現実は違っていた。

 今までの嬉しさや楽しさを対価に払ったかのように、放課後のその出来事は、自分にとって嬉しくもなんとも無い出来事だった。

 

 ……思い過ごしなら、それで良い。ただ急いでいたから自分を待っていなくて、ただ忙しかったから日課のランニングに姿を現さなかっただけなら、それで良い。

 でも……昨晩の、例の神様の言葉が引っ掛かって、そう楽観的に考えることが、彼には出来なかった。

 

『ま、明日になったら分かるわよ。もう行動は起こしてるんだし』

 

 その言葉が引っ掛かっているせいで、橙耶は楽観的になれなかった。

 

 だからただ、いつもの放課後に橙耶を待っている立花の姿が無かったり、日課のランニングに姿を現さなかったりしただけなのに、何かずっと、心にしこりとして残ったままになっていた。