結局、お昼休みは奈弦と二人きりで食事をしたその日の放課後。
『昼食は一緒に食べないことになったけど、友人にはなれたわ。あの子、人見知りするでしょ? そのことも含めて、これからは個人的に仲良くしていくわ』
橙耶があの場を離れてしばらくしてから生徒会室にやってきた奈弦は、食事を始めた開口一番そんなことを言ってきた。
奈弦がウソをつくとは思えないので信じてはいる橙耶だが……あの人見知り激しい後輩と、十分満たすか満たさないかぐらいの時間でどうやって仲良くなったのかが気になって仕方が無いらしい。……まぁ気になったところで放課後は、奈弦は生徒会、美咲は妹の優衣と一緒なので、確認の術がまったく無いから知りようがないのだが……。
「京田さん、お待たせ」
と、いつもの場所、いつもの校舎の入り口付近で、壁に背を預けて立っている、さっぱりとした短い髪の特徴がないのが特徴な幼馴染に、いつも通り声をかける。
「…………」
でも彼女は返事をすることもなく、ただ自分の手に握られているカバンを見つめ、ボ〜っとしている。自らの思考に深く埋没し、現実のことが手についていない状態のような、そんな感じがする。
「……京田さん?」
「あっ、うん。えっ? あっ、何? 筧くん」
顔を覗き込むようにして改めて声をかけると、ようやく橙耶の存在に気付いたのか慌てて顔を上げる。
「なに? はこっちのセリフだよ。どうかした? 何か、すごく真剣に考えてたみたいだけど……悩み事でもあるの?」
「ううん……そういう訳じゃないの。ただ、ね……朝あんたと一緒に登校してたあの子について、ちょっと、ね」
「朝霧さんのこと?」
「うん。……ほら、さ。あんなにカワイイ後輩がいるんならさ、アタシ何かと一緒に帰る必要も無いんじゃないかなぁ、って」
元気無く、窺うような視線の中でのその言葉。でも橙耶は、その視線には気付いていない。元気が無いことには気付いていたが、彼女の窺うような視線には、気付いていない。
だから彼は少し考えた後、正直に答えた方が良いのだろうと思い、口を開く。
「そんなこと無いよ。ボクにとって京田さんと一緒に帰る時間は大切だし、朝霧さんとは違う楽しさがあるし、全然不必要なことなんて無いよ」
「……そう……ま、あんたならそう答えると思ったわ。誰にでも優しいからね、あんたは」
「いや、そんなこと無いと思うけど……ボクから見たら京田さんだって優しいし」
「私は優しくなんてないわよ。ただ誰かに、自分を必要だと思われたいためだけに必死になってるだけ。あんたみたいに皆に、無償に優しいとか、そんなんじゃない。……私の優しさにはね、下心があるのよ」
「ん〜……そんなこと無いと思うけどなぁ〜……」
「そんなことあるのよ、実際は」
「でもさ、それでも優しいことには変わりないんだよね? だったら何も悩む必要なんて無いと思うんだけど……」
「そうね……確かに、悩む必要なんて無いことよね」
そんなこと、立花はとっくに知っている。自分の優しさは橙耶とは違う下心ありの優しさで、常に見返りを求めているダメなものだって、そんなことは分かっている。……だから、こんなことに悩んでなんていない。そもそもこのことは、昔から結論が出ている。自分から結論を出している。
下心ありでも、優しさなら良いじゃないかと。下心を持たぬ代わりに優しくしないより、下心があっても優しくすれば良いじゃないかと、とっくに自分で結論を出している。
だから、こんなことで悩んでなんていない。本当に悩んでいたこと……それはやっぱり、今朝の後輩のこと。毎日一緒に登校していた、優衣の友達で、橙耶の後輩でもある、朝霧美咲という少女のこと。優しさがどうとかは、橙耶に本当の悩みを悟らせないための、誤魔化しの言葉でしかない。
「それじゃあ帰ろうか、京田さん」
「うん」
返事をし、歩いていく道すがらも、やっぱり頭からは離れない。美咲のことが、頭から離れない。自分は、本当は橙耶から必要とされていないのではという考えが、ずっと頭からこびりついて離れない。
……もし……もし橙耶があたしを必要としていないのなら……アタシは誰からも、必要とされなくなる。誰にも存在を認めてもらえないことになる。そうなったらアタシは……たぶん、アタシは……。
「ちょっと待って! 橙耶くんっ!」
と、校舎から校門へと向かう道の中、橙耶を呼ぶ女性の声が聞こえる。
二人してその後ろから声に反応して振り返ると、そこには駆け足でこちらへと向かってくる長身の女生徒――生徒会長の奈弦がいた。¥
「良かった……何とか追いついた」
結構な距離を走ったはずなのに息切れ一つ無く、止まって待ってくれていた橙耶へと微笑みを浮かべる。そんな彼女の姿に、橙耶は首を僅かに傾げる。
「どうかしたんですか? 奈弦先輩」
「どうしたもこうしたも無いわよ……はいこれ」
そう言って差し出したのは群青色の箸入れ。
「あっ、これボクの箸入れ」
「そ。あなた、お昼ご飯食べた後入れ忘れてたでしょ? 生徒会室に放置されたままだったわ」
「あれ? でも奈弦先輩も、ボクと一緒に部屋を出ましたよね?」
「そうだけど、五時間目を終えた後にちょっとした用事があってね。そしたら机の上にこの子がポツンとあったって訳」
コツコツと、手渡した橙耶の箸入れを指先で軽くつつく。
「それでわざわざ届けてくれたんですか……ありがとうございます」
「まったくよ。一度教室にも寄ってみたんだけどすでにいなかったし……追いついてよかったわ」
ため息交じりにそう言うと、ふと、橙耶の隣に立つ立花に目を向ける。
立花は奈弦のことを知っている。生徒会長だから、何度も壇上に立つ彼女を見てきたから、知っている。
でも、奈弦と橙耶がこんなに仲良しとは、知らなかった。なんせさっきの会話、アレは毎日一緒にお昼を食べているという、その証の会話でしかない。
だから動揺して、その親しく話す奈弦の姿を見つめてしまっていた。
壇上で見たときから綺麗と思っていたが、近くで見たらもっと綺麗なことに驚きながら……。
「…………」
「…………」
そのまま互いに挨拶することも無く、奈弦は立花に向かってニコりと優雅に微笑む。
そして橙耶に気をつけて帰りなさいと注意をし、校舎へと戻っていく。
「…………」
その戻る後姿の優雅さに、ただ黙っていることしか出来ない。声をかけることが、まったく出来ない。
「それじゃあ帰ろうか京田さん」
箸入れをカバンの中に仕舞いながらのその橙耶の言葉に、立花は再び返事をしない。
ただ、立ち去り行く奈弦の後姿を、呆然と見つめるのみ。
虚ろな瞳で。深い思考の水底で。
「京田さん……?」
今度ばかりは、本当に深く考えているのか。
顔を覗き込みながらのその言葉にも、立花は返事をすることが無かった。
◇◆◇◆◇
「で、結局あなたは何をしたんですか?」
全ての日課を終えて夕食も終えて部屋へと戻ってきた開口一番、橙耶はベッドの上に居座る私に向けて昨日と同じぐらいの力強い言葉を投げかけてきた。もしかしたら少しだけ怒っているのかもしれない。
「何か京田さんの調子が悪かったみたいですけど……もしかして、アレがあなたがしたことですか? 一緒に帰るときも上の空でしたし、今日のランニングには待ち合わせ場所にいなかったし……原因があるとしたらあなたしか思い当たらないんですけど」
「心外ねぇ……特別なことが起きた全ての原因をあたしだって決め付けるの?」
「決め付ける、と言いますか、一つの可能性として訊ねているだけです」
「まぁ今日色々としたのは事実だけど」
「やっぱりそうなんじゃないですかっ!」
橙耶を慕う三人の女の子。昨日観ていてふと気が付いたのだが、どうも彼女達はそれぞれと会ったことが無いみたいだった。
私が意図してやっていないところをみると、橙耶が作用している純粋な運としか言いようが無い。
だから、全員と会わせてみた。立花を朝早く起こして学校へ向かわせたり、美咲を橙耶と出会うために共同棟への用事を与えたり、奈弦と放課後会うために箸入れというキッカケを与えたり……。そうして皆の様子を観察してみた。
そしてその甲斐あって、私の思い描く作戦にピッタリな子が見つかった。
後はまぁ……明日明後日とじっくり練り上げ、下準備をし、実行に移すだけ。それでもう、橙耶が誰かと付き合う、橙耶が心の底から誰かを好きになる、なんてことは無くなるだろう。そしたら後は、また前みたいに彼を中心として環境操作を行える日々に戻れる。
「でも、私一人が全ての原因だと思わないでよね。特に立花の調子が悪かったのはあなたが原因でもあるのよ」
「ボクが? そんなことありませんよ。ボクはいつも通りだったじゃないですか」
「いつも通りねぇ……状況がいつも通りじゃなかったのに、いつも通りに過ごしちゃう……それが悪いことだとあたしは思うけど」
ま、こんなことを一人呟いても仕方ないか。彼に聞かせたところで、こうして不機嫌そうに首を傾げるだけだし。
「はぁ……まぁ、京田さんのことはもう良いです。で、結局何をされたんですか?」
ため息交じりの橙耶の言葉に、私が何をしようとしているのか言うべきか言わざるべきなのか、考える。……いやまぁ、考えるまでも無いか。このまま言っちゃえば絶対に止めてくるし。じゃあまぁ、仕方ない。お茶でも濁しとこうかな。
「何を……ねぇ……ま、明日になったら分かるわよ。もう行動は起こしてるんだし」