「くぅ〜……」

 

 時間は飛んで昼休み。長引いた四時間目の授業を終えた後、身体の疲れをいつも通り気休め程度に取りながら、共同棟の階段を上っていく。

 

「ん? あれ? 朝霧さん?」

 

 階段を上りきったところで声をかけられたのでそちらへと視線を向けると、ちょうど階段を下りきった美咲と鉢合わせになった。

 

「あれ? 橙耶先輩?」

「どうしたの? お昼休みに共同棟になんて来て……」

「ちょっと世界史で使った教材を直すよう頼まれまして……」

「なるほど……そういう面では煩わしいよね。校舎が別なのって」

「はい……。そういう橙耶先輩こそ、どうして共同棟何かに来てるんですか……?」

「ああ、ボクはお昼ごはんを食べにね」

 

 と右手に持っていたお弁当箱の包みを顔の横まで持ち上げる。

 

「お昼ご飯ですか……でも共同棟なんかで食べておいしいですか? 良い景色が見れる場所なんて無いと思いますが……」

「まぁ、景色を見に来るために食べてるんじゃ無いんだ」

「えっ?」

「じつは会長さんと食べる約束をしてるんだ」

「……へ、へ〜……」

 

 ヒクリと、頬が引きつる美咲。でも橙耶はそのことに気付かず、これから向かう場所が楽しみな子供のようにニコニコしたままだ。

 そんな橙耶に向かって、美咲は一度咳払いをした後、続ける。

 

「それって、その、毎日一緒に食べてるんですか?」

「あ、うん。毎日お昼ご飯は一緒にって、約束してるんです」

「ふ、ふ〜ん……」

 

 そこまで聞いた後、彼女は顎にそっと手を当て、何かを考える。でもその時間もほんの僅かで、次に顔を上げた時には、オズオズと遠慮がちな瞳を橙耶に向けていた。

 

「そ、その……その場に私が参列しても、おかしくないでしょうか?」

「えっ……?」

 

 その言葉に、橙耶は動揺する。

 別に、一緒に食べるのは構わないだろうと、橙耶は思う。なら何に動揺したのか……それは、美咲のその積極性にだ。

 

 出会った当初から、その人見知りは顕著だった。自分がこうして仲良くなれてるのだって、偶然に過ぎないのかもしれない。

 もしあの偶然が無ければ……きっと今頃、こうして彼女と親しくなんて話せていない。ここで何事も無かったかのようにすれ違って終わりだっただろう。

 だからこそ、こうして自らを成長させようとしている美咲を、応援したいとは思っている。

 

 でも……とも、同時に思う。だってあの生徒会室は、奈弦のものだ。だから勝手に自分が決めて、勝手に連れて行ってはダメだと思う。

 だから自分が出来ることと言えば……奈弦を必死に説得することだけだろうと、そう思う。

 

「その……ダメ、ですか……?」

 

 不安げに訊ねてくる美咲のその表情。もし橙耶の方が身長が高ければ、今頃上目遣いで見つめられていたかもしれない。

 

「いや、ボク個人としては大丈夫だけど……奈弦先輩に確認を取らないと」

「奈弦先輩……」

 

 自分は苗字呼びなのに相手は下の名前呼びなことに、僅かに動揺する。

 それだけ向こうの方が懇意だと言うことに、焦燥感を覚える。だから、人見知りを乗越えようと頑張れる。

 橙耶の隣を歩きたいから。

 

「じゃ、お弁当を持って一緒に生徒会室に来てくれるかな? 奈弦先輩に確認するし」

「その必要はないわよ、橙耶くん」

 

 と、廊下の向こう側から歩いてくる人影。スラリとした長身に長い黒髪、近付いてくる一挙一動が優雅なその女生徒。その姿は間違いなく奈弦のものだった。

 

「まったく……来るのが遅いから様子を見に行こうと思ってみればこんなところで油売って……」

「あ、スイマセン」

「ま、別に気にする必要もないけれど。ただでさえ四時間目の授業が長引いてたみたいだし」

 

 なんて会話を橙耶としながら二人に近付き、並んだところで改めて奈弦は口を開く。

 

「で、確認したいことってのは?」

「あ、はい。あの、この子は朝霧美咲さんと言いまして……一緒にお昼ご飯を食べたいなと……」

「ふ〜ん……」

 

 橙耶の言葉を聞いた奈弦は、品定めでもするようかのに美咲の全身を上から下までジックリと見つめる。自分よりは短いけれど長めの髪、中学上がりたてなのが分かる幼さが残った顔立ち、ソレに反して大きく主張してる自分とは真逆の大きな胸。

 

「…………」

 

 そして何より、頑張って橙耶の近くにいようとしていることが分かる、その雰囲気。

 それだけで、奈弦は悟った。

 彼女は橙耶のことが好きで、人見知りなのに頑張って知らない自分に近付こうとしていることが。そうして頑張れるほど、橙耶のことが好きなのだと言うことが。

 

「……なるほどねぇ……」

「その、朝霧さんは人見知りでして……こんなに頑張って人と接しようとしているのは珍しいんです。ですから……」

 

 先の言葉は聞かなくても分かる。橙耶のことだから、自分に向けられている気持ちに気付かず、ただ優しさで動いていることも、分かっている。

 だから彼は、きっと彼女とも一緒に食事をしたいのだろう。

 

「ま、何を言いたいかは分かったわ。それじゃあ橙耶くん、ちょっと先に生徒会室に言っててくれる? この子と少しだけ話がしたいの」

「でも……」

「大丈夫。悪いようにはしないから。そのことは、あなたが一番分かってるでしょ?」

「あ……はい、分かりました」

 

 何とも言えない表情を浮かべた後、それじゃ、と美咲に軽く手を挙げて橙耶が離れていく。その姿を寂しげな表情で美咲が見送った後、さてと、と奈弦が口を開く。

 

「あなた、人見知りが激しそうね?」

「っ……! いえ、そんなことは……」

「誤魔化しても分かるわよ。別にそのことに対して責めようだなんて思わないわ」

「……はい……」

「ふぅ……急にしおらしくなっちゃうのね……まぁ良いわ。そのままだと、あなたをお昼ご飯に誘わないだけだから」

「っ!」

 

 その言葉に、俯いていた顔を跳ね上げる美咲。その必死さが妙に可愛らしくて、奈弦は自然と妖艶とも取れる笑みを浮かべて、彼女のことを見つめる。

 

「さて、どうもあなたは私と橙耶くんが二人きりになることを懸念してるみたいだけど……そのことに関しては安心して、としか言えないわ」

「……そんな言葉、信用できません。だってあなたも橙耶先輩のことが……」

「確かに、私はあの子のことは大好きよ」

 

 あっさりと言ったその言葉に美咲は少しの驚きを見せるが、それに構わず奈弦は、でも、と続ける。

 

「ソレが恋愛感情かどうかと聞かれたら首を傾げるしかないわね。私個人としては色々と助けてもらったことがあるから、気にはなってるし大切だとも思ってるんだけどね。それが恋愛感情に発展するかどうかは、また別の問題じゃない?」

 

 ……ウソだと、美咲は悟った。……確かに、気にはなってるのだろう。大切にも思っているのだろう。

 でも、その感情だけではないとも思った。同じ人が好きだからこその直感、としか言えない不確かなものだけど、彼女はウソをついていると、美咲は思った。

 

 でも……話し方や雰囲気からは、ウソをついている感じがしない。巧みにウソをつける人間なのか、それとも……自分の本当の気持ちに気付いていないのか。

 気付いていないから、発する言葉の奥底をウソだと見抜けても、表はウソだと見抜けないのか。

 ……いや、見抜けないは違うか。だって彼女自身が自分の気持ちに気付いていないのだから、彼女自身は本当のつもりで言葉を発しているのだから。

 

「……そうですね、確かに別問題ですね」

「でしょ?」

「でも――」

 

 と、美咲はそこで一旦、言葉を切る。

 そして一度大きく、深呼吸をする。

 ……息を全て吐き出し、体の緊張も一緒に吐き出したところで、瞳を強くして相手の顔を睨みつける。彼女らしくない、でも本当の彼女を思わせる、その表情の変化。

 

「――別問題だからこそ、一緒に食べてもいいんじゃないですか?」

 

 それは宣戦布告のようにも聞こえるほどの、力強い言葉と瞳の力。

 でも奈弦はそんな姿に怯む事もなく、むしろ優雅に柔らかく腕を組む。

 

「ま、そう取ることもできるよね。でもね、こうして私と一緒に食べることは、橙耶くん自身が望んだことなの。ならここは彼に気を遣わせないためにも、あなたは遠慮すべきではなくて?」

「……そうかも、しれないですね」

「でしょ?」

「でも、もしここで会長さんが怪我でもしたら、橙耶先輩一人でお昼ご飯になっちゃいますよね? なら、それに付き添うのは後輩の務めだと思うんですよ」

「……へぇ……人見知りだからそういう強行手段なんて取ってこないと思ってたけど……どうも脅しで言ってる訳じゃないみたいね」

 

 美咲の言葉の意図を汲み取ったのか、少しばかり驚きの表情を浮かべながらも優雅に組んでいた腕を解き、足を肩幅まで広げ、僅かに、違和感のない程度に構える奈弦。

 

「でも、良いの? これでも私、結構ケンカ事には自信あるわよ?」

「別に、会長相手にケンカを売るつもりはありませんよ。ただちょっと、怪我をしてしまうかもしれない、っていう仮定の話をしてるだけです」

「ふ〜ん……ま、陰でチマチマとされるよりかは清々しくて良いわ」

「私も、陰で何かをしてくるのはイヤですから。どうしても奪いたいものがあるのなら真正面から……互いの欲しいものが一つしかないのなら、争いが起きるのは当然のことだと思ってます」

「争い無くして得るものは無い、か……中々良い心掛けね。私もそれには同意するわ」

「っ……! ……驚きました……まさか私と同じ考えの人がいるなんて……」

「なに? もしかして、その考えを全員に否定されて恐怖してたから、人見知りになって自分を隠し続けてたの?」

「……はい……」

「なるほどね……ま、話し合いで何とかしようとか、そんな有り得ない理想論しか皆言わないからね。言論闘争ならまだしもね。世間一般でも、私たちの考えは野蛮だって言われるだろうし。でも、そんな妥協した方が完全に納得できない方法より、負けて従った方が逆に納得できるものだと思うんだけど、私も」

「その通りですよね! ……あぁ〜……会長さんは良く分かってくれてます……もし同じ人が好きじゃなかったら、きっと私が慕っていたところですよ」

「あら? 私だってあなたのような考えは好きだから、私もあなたを慕っていたわ」

「じゃあ、友達になれましたね」

「ええ、友達になれたわね」

「でも……だからと言って、引き下がるつもりもありませんが」

「ま、そうよね。この程度で引き下がるなら、橙耶くんへの気持ちもその程度、ってことだもの」

「はい……私はどうしても、橙耶先輩の隣を歩きたいですから。ですから……友達になれる人でも、行かせて頂きます」

「あら? 友達とは争っちゃいけない、とは決められてないでしょ? だから、あなたがそのつもりなら、もう私とあなたは友達よ」

「っ……! ……ありがとう、ございます……!」

 

 一瞬、嬉しそうな笑みを美咲は浮かべた。

 でも、本当に一瞬。

 次の瞬間には膝を曲げ、奈弦に向かってタックルでもするかのように駆け出していた。

 でもそれは奈弦にとっては不意打ちにはならず、むしろ遅いぐらいだった。

 

「っ!」

 

 大した威力も込めていない蹴りを美咲の横腹目掛けて放ち、その足を無理矢理止めさせる。蹴り自体に速度を出していなかったので美咲の腕であっさりと防がれてしまったが、彼女の足を止めさせるだけが目的だったので十分だ。

 その後は受け止められた脚に力を込め、無理矢理振り抜く。

 

「きゃっ!」

 

 そのあまりの力強さに美咲は軽く声を上げ、無理矢理後退りさせられる。

 

「ふぅ……なんだ、せっかく挑んでくるからもっと強いと思ったのに……あなた、動きとかまったくの素人じゃない」

 

 振りぬいた脚を静かに下ろしながらの奈弦の言葉に、しかし美咲はニヤりとした笑みを浮かべる。

 

「そもそも私、そんなケンカとか野蛮なことは出来ませんから」

「野蛮ねぇ……私のなんて、親に習わされたテコンドーなんだけど、そのスポーツも野蛮だっていうの?」

「いいえ、さすがにそこまでは。でもそうですね……あまりスカートで蹴り技はどうかと思いますよ」

「大丈夫よ。中に体育用のハーフパンツ穿いてるし」

「でも、その中まで見えましたよ。ピンクですか。見かけによらず可愛らしいもの穿いてますね」

 

 その言葉にはさすがの奈弦も顔を真っ赤にし、スカートをバッと押さえる。その姿を相変わらずんのニヤついた瞳で見つめながら、美咲はブレザーのポケットから一枚の紙を取り出す。人型の凧のような形をした、手のひらサイズの小さな紙を。

 

「……? なに、それ?」

「いえ別に。ただ、最初に言いましたよね? もし、万が一にも怪我をしたらって」

 

 訳の分からないと言った顔をする奈弦の目の前で、右手の親指を見せ付ける。その爪先には赤の絵の具のようなものがついていて……それは誰かの血のようで……そこで奈弦は、ハッとして自分の右足を見る。さっき蹴りを放った足を見る。

 その脛の部分には、軽く爪で抉られた、痛みが起きないほど小さな、本当に小さな傷がついていて……。

 

「そう言えば先輩、右足、痛くないですか?」

 

 その声に慌てて顔を上げてみれば、いつの間にかさっき取り出した人型の紙の顔部分に、さっき爪先についていた絵の具のような血が擦り付けられていて……そのまま美咲は、その人形の右足を、強く折り曲げた。瞬間――

 

「いたたたたたたたたたたたたたたたた……!」

 

 ――奈弦の右足に激痛。足が折られたような、無理矢理折り曲げられるような、そんなものとは違う、内側からの生半可じゃない痛みが右足に訪れる。

 

「ふぅ……ゴールデンウィーク中にマスターしてて良かった……」

 

 心底安心したように呟くと、あまりの痛みで座り込んでしまっている奈弦へと、美咲はゆっくりと近付いていく。

 

「あれ〜? 会長さん、もしかして右足が痛いんですか? だったら保健室行って来ないと。あ、でもそれじゃあ橙耶先輩とのお昼ご飯を待たせちゃいますね。じゃあ、私が代わりに行ってあげますよ。だから会長さんはノンビリと、保健室へと行って下さい。共同棟の一階にも保健室はあったはずですから」

 

 わざわざ同じ視点になるよう座り込み、わざとらしく耳元で声を上げる。大根役者だと分かるその言い方が余計に奈弦の神経を逆撫でる。

 でもそれも構わず、既にに勝ちを確信しているのか、それでは、と軽く肩を叩いて立ち去る美咲。もし彼女に度胸があればそのまま高笑いでも上げ出しそうだ。

 

「ふっ……ふふっ……まさかリアルに呪いなんてものが存在するなんてね……そんで使える人がいるなんてね……ビックリよ。正直信じられないわ」

 

 でも、そのまま通すほど奈弦も甘くない。

 

「でも信じるしかないし、この痛みは本当に起きてるし……。でもね、この程度の痛み……! 大会で何度も味わったわっ!」

 

 呟きから叫びに変え、無理矢理自らの体を奮い立たせて大きく飛び跳ねる。しゃがみ込んだ状態から、しかも片足で跳んだとは思えぬほどの高さ。立っている状態の奈弦を裕に超える高さ。その高さから、立ち去ろうとしている美咲の左手目掛けて、その長身を最大限生かした飛び後ろ回し蹴りを放つ。

 

「きゃっ!」

 

 再びの小さな悲鳴。長い髪が大きくなびく中放たれた蹴りは、手に当たることはなかったものの肘に当たり、その手に握られていた人型の紙を手元から離させる。

 

「あっ」

「甘いわよ、美咲ちゃん!」

 

 そのヒラヒラと宙を舞う人型の紙を再び掴み取ろうと手を伸ばす美咲の体を押し倒し、何とかマウントポジションをとる奈弦。右足の痛みは、美咲の手元から人型の紙が離れた時点でなくなっている。

 

「やっぱりね……この紙を持ってないと、さっきの私への呪いは効果を無くすのね」

 

 そうして上に跨ったまま上体を倒し、近くに落ちた例の人型紙を拾う。そしてそのまま力を込めて小さく丸め、自らのブレザーのポケットの中に仕舞う。

 

「……なんて身体能力してんですか、会長さん」

「ま、これぐらい出来ないと、あなたと一緒の意見になんてなってないわよ。あんなの、力があるからこその意見なんだし」

「確かにそうですね。私も、この意見を通すためには力がないと、と思って、こんなことやってる訳ですし」

「まさかリアルの呪いを体験することになるとは思って無かったわ……」

 

 さて、と奈弦は一区切りをつけ、顔の横に手を付いて覆い被さるようにし、顔を近付けて続ける。

 

「これでもまだ、橙耶くんのところに行く? もしまだ行くって言うんなら……」

「言うんなら、何ですか……?」

「……あなたの胸をモミしだく」

「えっ!?」

 

 思わず自らのその豊満な胸を腕で隠す。が、次の瞬間にはその両手を取られ、頭の上に持っていかされ右手一つで押さえつけられる。

 

「良いのかしら……? あなたのこの、大きくて柔らかな果実があられもない姿に変えられるわよ……?」

 

 そしてその耳元に顔を近づけ、そんなことを甘く囁く。あまった左手で、自分とは真逆のその凹凸激しい体をなぞるのも忘れない。

 

「んっ……!」

 

 服の上を触れるか触れないかの距離で往復するその指先がくすぐったくて、無意識的に美咲の口から甘い声が漏れ出る。

 

「さぁ……どうするの?」

 

 ペロっと、その耳たぶを少しだけ舐める。

 

「ひゃぅっ……!」

 

 くすぐったいのかそれとも別の感覚からか、また無意識的に甘い声が漏れ出る。

 

「んふっ……! ……ふ〜」

「ひひゃぁ……! や、やめて下さい! 自分がペタン娘で揉めないからって私のを揉もうとしないで下さい!」

「……本当に揉みしだくわよ? 捻り取るほどに」

 

 美咲の言葉によほどイラつきを覚えたのか、奈弦はドスの利いた声でそう呟くと同時、彼女の胸を力いっぱい握り締めた。

 

「いたいいたいいたいいたいいたいいたいですっ! スイマセン! 私が悪かったです! 言い過ぎました! 今日のところも諦めますから、どうか離してくださいっ!」

「そ、素直でよろしい」

 

 あまりの痛みに我慢できなくなった美咲のその降参の言葉に、ようやく奈弦は彼女の耳元から顔を上げ、跨っていた彼女の上から退く。そして美咲の手を取ってやり、彼女を起こしてやる。

 

「それじゃ、お昼ご飯はまた今度、ってことで」

「……わかりました……でも、一つ良いですか?」

「ん? どうかした?」

「どうしてそこまで、二人っきりの昼食に拘るんですか?」

 

 両胸を腕で隠しながら悔しそうに訊ねてきた美咲のその質問に、奈弦は少しだけ考える素振りを見せた後、優雅に微笑んで、答えた。

 

「そうねぇ……好きになるかもしれない人と二人きりで食べる食事って、とってもおいしいのよ」