「やっと終わったなぁ〜……」

 

 一日の最後の授業、ソレを終える合図のチャイムが鳴り響いてから約十分。

 終礼も挨拶も終え、帰りの準備をしている橙耶に向かって恭介が話しかけてきた。

 

「そうだねぇ〜……でも今週はあと少ししたらまた休みだから、いつもより全然頑張っていけるね」

「けっ、良い子ちゃんだなぁ、橙耶は。オレなんて逆に、この僅かばかりの平日が憎たらしいよ。どうせだったらこの部分も休みだったら良いのによ」

「でもそうなると石崎さんともっと会えなくなってたよ?」

「……うん、学校に来るのは大事だよな、やっぱり」

「ほら恭介、あなたも私と一緒で掃除でしょ」

 

 と、二人の会話を遮るように郁美が口を挟む。

 

「今日はトイレ掃除なんだから、ほら、さっさと行くわよ」

「いや、そんなことは無いと思うんだけどなぁ……郁美の気のせいじゃないのか?」

「気のせいじゃないの。恭介、私と一緒の掃除当番でしょ。だったら掃除はあるじゃない」

「いやでもな――」

「ごちゃごちゃ文句言わない。ほら、トイレ掃除なんだから行くわよっ」

 

 そのまま彼の腕を掴み取り、教室の外へと連れ出していく。

 

「いててっ……! ったく分かったから、ちゃんと自分で歩くよ」

「それで良いのよ。まったく、最初からそう言ってれば良かったのよ」

「ヘイヘイ、分かりましたよっと。……それじゃあ橙耶、また明日」

「筧くん、また明日」

 

 教室から出て行く間際の二人の挨拶に、橙耶は手を振り返して答える。

 

「……さて、と……ボクも帰ろうかな」

 

 そして誰にでも無くそう呟くと、荷物を纏めた鞄を手に取り帰り路を行く。教室を出て行く間際にクラスの皆への挨拶も忘れない。

 

 別に一緒に帰る友達がいない訳ではない。もし橙耶が一緒に帰ろうと誘えば、皆イヤな顔をせずに快く一緒に帰ってくれるだろう。でも橙耶は、そんなことをしない。自分から別のグループに入るなんて真似は、していない。

 何故なら昔から――少なくとも恭介と郁美が付き合う前から、彼ら二人と三人で帰っていたから。その思い出があるから、その楽しかった思い出を崩したくないから、彼はどこかのグループに混じろうとなんて自分からしなかった

 。……恭介と郁美が、橙耶と一緒に帰りたくないと言った訳ではない。二人だけで帰らせて欲しいと言った訳ではない。

 ただいつの間にか、橙耶が気を遣うようになって、そのまま二人とは別に帰るようになっていただけの話。

 

「京田さん、おまたせ」

 

 ……まぁ、だからと言って一人で帰ることになる訳ではないのだが。

 

「遅いっ、って言いたいところだけど、まぁアタシもさっき来たばっかだし、許してあげるわ」

 

 校舎の入り口付近で橙耶が声をかけたその女生徒は、さっぱりとした短い髪をクルリと振って腰に手を当て、口調とは裏腹な嬉しさが見え隠れする表情でそんなことを言ってきた。

 

 今まで出会ってきた美咲や郁美、奈弦のような、大きな胸やメガネや長身黒髪ロングのようなコレといった特徴の無い、極々普通な女の子。特徴が無いのが特徴、それを地でいくような女の子、それが彼女――京田立花だった。

 

「それは良かった。それじゃ、一緒に帰ろっか」

 

 嬉しさの見え隠れに気付いていない橙耶のその言葉を合図に、二人は並んで校舎を出て駅への道を歩いていく。その仲良く話す後姿は、まるで恭介や郁美のような恋人同士に見えないことも無い。

 

「そう言えば京田さん、今日の授業はどうだった?」

「どうも何も……やっぱ連休明けは疲れるわ」

「ははっ、まぁそうだろうね。ランニングの時もずっと連休なんて無ければ良いのに、って言ってたもんね」

 

 この橙耶の言うランニングとは、彼に用事があったり月曜日でない限りは毎日こなしている日課のこと。立花もよくコレに付き合っているのだ。

 

「そりゃそうよ。そりゃ一週間全部が学校は疲れるけど、一週間のほとんどが休みの学校も逆に疲れるもんよ。それならむしろ慣れてる方が良いに決まってるじゃない」

「う〜ん……でもホント、京田さんの思考って変わってるよね。だってボクの友達なんか、これぐらいなら今日みたいな残りの平日も休みにしちゃえば良いのに、って言ってたぐらいなのに」

「でもそれだと勉強が遅れちゃわない?」

「そういった結論にいくのが変わってるんだよ。ほら、遭難したら『どうせ皆死ぬんだから……アタシが殺してあげる』っていう結論に辿り着くぐらい」

「それってただの殺人鬼じゃないの!?」

「まさか、ちょっと気が狂ってる人だよ」

「余計に悪いような気がするんだけど!?」

「まあまあ」

「怒鳴らせた本人がその対応ってどうなのよっ! ……だいたい、筧君はどうなのよ? 今日の授業の調子は」

「えっ? う〜ん……まぁ、連休前と変わらなかったかな」

「うっわふつうぅぅ〜〜〜〜……」

「普通ってのは良いことなんだよ!? だいたいボクから言わせれば、京田さんなんて普通を体現したかのような人じゃないか」

「あんたさっきアタシの思考が変わってるって言ったばっかじゃなかったっけ!?」

「見た目は普通、頭脳は特殊! その名は、名変人立花!」

「黙れっ! 見た目は子供で頭脳が普通のただのショタっ子が!」

「人が気にしてることをズゲズゲと!」

「先にいらないことを言ってきたのはあんたじゃないのっ!」

 

 なんてギャアギャアとした言い合いは、他人から見れば仲が良いからこその言い合いに見える。恭介と郁美が将来、互いに遠慮しなくなればこんな感じになるのではないだろうか?

 

 そもそも二人の付き合いの長さは、美咲や郁美や奈弦と比べると遥かに長い。なんせ立花さえ朝が弱くなければ、橙耶たちと一緒に登校していてもおかしくはない距離に彼女の家があるのだ。

 つまりはまぁ、幼稚園時代からの付き合い――俗に言う幼馴染と呼ばれる関係なのだ。

 中学時代は思春期特有の思考回路で、立花が橙耶から距離を置く形にもなっていたが、高校にあがるころにはソレも収まり、今となってはこうして一緒に下校をする間柄になっている。もっとも、一人で帰っている橙耶を見かけた彼女が声をかけた頃からしか一緒に帰っていないのだが……。

 

「ったく……。……あ〜あ……なんか言い合ってたら喉渇いちゃった。ねぇ、電車乗る前にジュースでも買わない?」

 

 と、駅の改札口前にある自販機を指しながらの立花の言葉に、橙耶は軽く唸った後に首を横に振った。

 

「ボクは良いや。京田さんほど喉も渇いてないしね」

「なによ、お金持ってないの?」

「……面目ない」

 

 橙耶の断り方でウソをついているのか本当のことを言っているのか分かるのは、おそらく子供の頃からの付き合いがある彼女ぐらいだろう。

 

「まったく……気なんて遣わないで、お金ない、って正直に言えば良いじゃない」

「いやだって、ソレ言っちゃったら京田さんが気遣っちゃうでしょ?」

「全然」

「……そうだよね、そういう人だったね」

「そうよ、そういう人なの。あんた自身が言ってたじゃない。私は変わり者だって。……ま、お金ないんなら仕方な――」

 

 と呟いたところで、ハッと何かに気付いた立花。

 

「――ねぇ、筧君。だったらさ、アタシと、半分こしない?」

「え?」

 

 疑問を表情に貼り付ける橙耶に、捲くし立てるように続ける立花。

 

「いや、あのね、あんたってお金ないんでしょ? でも、オゴってもらうとか、そういう話になって気を遣うのがイヤな訳じゃん? でもさすがのアタシだって何も飲まないあんたの前で意気揚々と飲むのは色々と憚れる訳。だから、オゴりもしないで憚らない方法として、一本のジュースを半分こにする、ってのはどう?」

「あ〜……う〜ん……でもなぁ〜……それは結局、立花に悪いことしちゃう訳だし……」

「何言ってんのよっ、アタシは飲みたいの。でも、あんたの前で意気揚々とは飲めないの。だから解決策として、中身の半分こはどうかって話なの! そのための金額半分とか、そういうのはアタシが飲むための必要金額だと思えるから大丈夫よっ!」

「あ、あぁ〜〜〜……なるほどね」

 

 血気迫る勢いに思わずたじろきながらも、少し自分の喉の渇きと相談する橙耶。……そして、結論が出た。

 

「……いや、それでもやっぱり良いや。ボク思ったほど喉渇いてないし。だから、目の前で意気揚々と飲んじゃってよ」

「っ……! ……そう……分かったわ」

 

 何かを叫び返そうとして思い止まり、渋々自販機に一人で向かう立花。何を言い返そうとしたのか……もしその姿に橙耶が気付いていれば、分かったのかもしれない。

 彼女が何を言いたがっていたのかを。